金城哲夫資料館

2013年11月22日 カテゴリ:観る
はえるんフェスティバル

金城哲夫(1938年7月5日~1976年2月26日)は、南風原町出身の脚本家です。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など円谷プロ初期の特撮テレビ番組のメインライターとして大きな役割を果たしました。
金城の生家である南風原町の料亭「松風苑」では、彼の書斎を現在でも保存しており、希望者に公開しています。

南風原町津嘉山にある松風苑(写真左)。離れの2階が書斎として使われていました(写真右)。

資料館のなかには当時の机や書籍・資料が残されていて、執筆に打ち込んでいた金城の姿がしのばれるようになっています。

円谷プロ時代の台本、帰郷後の沖縄芝居の資料なども展示されています。

書斎のあちこちに飾られた色紙。ウルトラシリーズ関係者のサインから、最近の若いファンによる寄せ書きもあります。特撮ファンならおなじみの俳優・スタッフのサインがずらりと並んでいます。
かつてウルトラシリーズを共に制作した多くの仲間がこの書斎を訪れて、早すぎた金城の死を悼みました。

たくさんの怪獣・宇宙人の人形やプラモデルが机の上に。最近の製品もあるので、ファンが残していったものでしょうか。

【見学申し込みについて】
常時公開はしていないので、あらかじめ電話で予約をお願いします。生家のご好意で保存され、ファンのために公開されている施設なので、失礼のないようマナーを守ってご見学ください。

名称金城哲夫資料館
主催

南風原町字津嘉山1384番

お問い合わせ098-889-3471
営業時間11:30~17:00(要予約)
料金無料
定休日12/31
駐車場有り

ウルトラシリーズの生みの親のひとりとして
ゴジラシリーズなどの特撮技術で知られる円谷プロダクションに入社した金城哲夫は、28歳のとき(1966年)に、円谷プロ初の特撮テレビ番組「ウルトラQ」の脚本家に抜擢されました。
金城たちの創りだすSFテイストあふれる物語、魅力ある怪獣や宇宙人の特撮映像は、子供たちを夢中にさせました。ウルトラシリーズの放映時間にはテレビを見るために銭湯から子供たちの姿が消えるといわれ、「怪獣ブーム」「ウルトラブーム」と呼ばれる社会現象をまきおこしまします。
ウルトラマンは明るく楽しい話が多く、ウルトラセブンはSFドラマの要素を強くするというように、金城はメインライターとなって番組の方向性を定めました。今でいう「シリーズ構成」の役割です。自分で脚本を書くほかに、複数のライターと打ち合わせて指示をおこない、番組の方向性に合わない脚本には修正を求めるなど、まとめ役となってシリーズ全体のクオリティ向上に貢献しました。
沖縄での番組制作や沖縄国際海洋博の演出を手がける
やがて「ウルトラセブン」の終了後、「マイティジャック」「怪奇大作戦」など担当番組の視聴率低下、円谷プロの経営悪化にともない、1969年に金城は円谷プロを退社します。
金城は沖縄へ帰郷し、ラジオ番組の制作や沖縄芝居の脚本・演出にたずさわります。ラジオのパーソナリティーにも挑戦しました。沖縄国際海洋博覧会(1975~1976年)の閉会式の企画・演出もおこないました。
それまでの沖縄芝居の多くは、詳細な脚本をつくらずに、練習の場で演出家が役者へセリフやストーリーを伝えていくものでした。そんな当時、しっかりしたドラマ構成と練りこまれたセリフがつめこまれた金城の脚本は、芝居関係者にとって大きな刺激になったといいます。
1976年2月23日、酔った状態で2階の書斎へ窓から入ろうとして転落し、脳挫傷のため37歳で亡くなりました。あまりにも若い死で、脚本家としての活動期間も短いものでしたが、彼の残した作品は今も子供たちに愛され、新しいファンを日々獲得しています。