『南風原町ヒーロー脚本賞』受賞発表

2015年1月30日 カテゴリ:新着情報
 

「金城哲夫生誕75周年記念事業 南風原町ヒーロー脚本賞」は厳正なる審査の結果、下記の4作品を受賞作として発表いたします。
2015年2月21日より募集が始まり、同年5月31日に締め切られるまでの間に、全13作品の応募がありました。飛び安里の魅力ある物語を創造し沖縄そして日本のヒーローとして広めていこうという本賞の目的にふさわしく、いずれも素晴らしい力作揃いでした。応募された皆さまの熱い想いが原稿用紙から伝わってきました。
受賞された4作品それぞれについての講評は、後日くわしくまとめて発表いたします。応募者の皆様、そして様々な形でご協力いただいた皆様、ありがとうございました。皆様のご尽力を無駄にしないよう、受賞作品の出版や演劇の上演など今後に活かしてまいります。

受賞者名簿

 

講評

赤嶺 政信(審査委員長)

 南風原町観光協会の方から「南風原町ヒーロー脚本賞」の審査委員への就任依頼を受けたときは、演劇や脚本の審査などに関わったことは全くないので、「専門外だから」とお断りをした。2回目に話がきたときには、時代考証の部分をお願いしますという話になっており、私の専門は歴史学ではなく民俗学なのだが、時代考証ならお役に立てるかもしれないと思い、引き受けることにした。
関連資料が極端に少ないなかで応募する人はいるのだろうかと思っていたので、13件という応募件数の多さに驚いた。初回の会議で13本から5本に絞り込む作業をしたが、自分と他の3名の委員(演劇の専門家)との間に大きな意見の相違がなくて一安心した。
優秀賞の「飛べ若人!夢をつかめ!」は、「飛び安里」が生きた時代ではなく現代の高校が舞台という異色な作品だが、比較的数の多い登場人物をうまく絡ませながら、物語がスムーズに展開していることが好印象となった。また、「飛び安里」のチャレンジ精神を現代の若者が継承することの大切さが感動的に伝わる点も良く、そのメッセージの表現にシマ言葉が活用されているのも良いアイディアだと感じた。
佳作の「飛び安里」は、周当と源次郎との交流を軸にした話で、話の展開に無理を感じないのが私には好印象だったが、同じく佳作の「イチャリバ飛び安里」は、いくつかの点で不満を感じた。「だーる」「ジョッピー」といった若者言葉が多用されていることもあってか、全体的にギスギスとした感じが気になった。また、津嘉山の綱引き場面を登場させたのはいいアイディアだと評価できるが、描写されている綱引きが、実際の津嘉山の綱引きの内容と合わない点がいくつかあるのは残念である。
特別賞の「飛び安里」は、会話がすべてシマ言葉仕立てになっている作品である。「自由(じまま)に天飛」、「天飛ぶる夢(いみ)」といった気になる用法もあったが、シマ言葉は概ね正確に用いられていると判断でき、この作品が将来的にシマ言葉の継承に役立つ可能性があることを評価した。さらに、周當のたゆまぬ努力と、家族や周囲の仲間の協力によって夢が実現していくという筋書きは感動的であり、津嘉山の大綱引きの場面とそこでの周當による花火打ち上げの場面を導入しているのは、地元性をアピールするのに効果的だと感じた。

富田 めぐみ(審査委員)

 優秀賞の「飛べ若人!夢をつかめ!」は、”飛び安里魂”を最も感じた作品。伝えられてきた飛び安里エピソードを戯曲に練り込んだ応募作が多い中、現代の青春群像劇が受賞となった。困難を仲間や家族と乗り越えていく姿、チャレンジ精神が飛び安里と重なる。演劇部の設定、起承転結に富んだ物語運びが見事。劇中劇で切り取った飛び安里ストーリーの分量、ウチナー口のバランス、台詞の練り上げ等を若干要するかと思うが、舞台化を期待する。
佳作の「イチャリバ飛び安里」はタイムスリップもの。周當(飛び安里)と現代から来た勇樹の会話が続く中、バジル・ホールが登場する。時代考証では疑問だがカタコト英語のユニークな場面になっている。ドラマチックな出来事ではなく、台詞で進める本作のような場合、より魅力的な人物像や台詞、フィクションとノンフィクションのバランスなどが問われる。特産のヘチマや綱引きなど、南風原地域の話題が多く盛り込まれた点は評価したい。
もう1点の佳作「飛び安里」は舞台イメージが鮮明な作品で、場所、季節、人物の衣装や髪型、美術、小道具などが具体的に示されている。周當が、花火師の仕事に真摯に向き合い、苦悩し、仲間や家族と共に困難な仕事を成し遂げていく過程が丁寧に描かれ、「飛ぶ」という大きな夢に対しても誠に真剣であることの証になっている。クライマックスの飛行シーンが、周當の独白によって説明調になっているところが惜しい。
特別賞の「飛び安里」は、全編ウチナー口の台詞。100ページに及ぶ作品中の漢字にはウチナー口の読み仮名が添えられ「次世代に正しいウチナー口を継承したい」という思いも感じられ感銘を受けた。家族や友人によって微妙に使い分けられる敬語・謙譲語やウチナー口独特の言い回しから、当時の関係性、コミュニティーの姿、哲学などたいへん豊かな時代性が感じられる作品。舞台転換が唐突な暗転・明転なのが残念。ウチナー口ネイティブ世代の旺盛な創作意欲に感服。
初めてのヒーロー脚本賞募集に、コメディー、ファンタジー、サスペンス・・・と多様な表現で多くの応募があったことはとても喜ばしい。今回、惜しくも入選を逃した作品の中にも、光るアイディアやキャラクターが見られ、人形劇やアニメーション映画にすると面白いかもしれないという作品もあった。応募者の年齢や職業も様々で、まだまだ多くの才能が花開く可能性があることを感じた。
偉大な脚本家・金城哲夫を輩出した南風原町で生まれた脚本賞を機に、次世代の脚本家の誕生、育成に期待したい。

真喜屋 力(審査委員)

 ライト兄弟よりも先に空を飛んだという歴史のヒーロー「飛び安里」の伝説をテーマに書かれた13本の力作に目を通した。そのほとんどが、当然ながら「飛び安里」本人の歴史的なストーリーを主軸に進行していた。
一方、優秀賞を受賞した国吉氏の作品『飛べ若人!夢をつかめ!』は、現代の高校生たちを主人公に設定し、彼らが『飛び安里』の演劇を演じるまでの姿を描いた現代の青春ドラマとして再構築されている。もちろん、そのユニークさが評価の対象になってはいるが、それは諸刃の剣でもあり、評価が割れた部分もそこにあった。しかし、他の作品と比較しても、『飛び安里』のもっとも魅力的な要素である〈飛ぶ〉という瞬間の高揚感がきっちりと描き出されており、素朴ではあるが現代のヒーローを描き出していたと言えよう。金城哲生誕記念ということもあり、県内外を問わず上演も期待できる、魅力的な作品として可能性を感じさせるものであった。
佳作となった村上氏の『イチャリバ 飛び安里』は、現代の子どもがタイムスリップして、飛び安里に空を飛ぶヒントを与えると言う作品。リアルな会話が突出して魅力的だったが、物語展開にムリな部分が多く、タイトルにもある『イチャリバチョーデー」というテーマも、具体的なエピソードがないままで、とってつけた感じになったのが大きな減点となった。また、長所のはずのセリフ回しに頼りすぎた感じがあり、アクションやエピソードがものたりない、密度の低い冗長な作品になってしまったのが残念だ。
もう一本の佳作、栄野川氏の『飛び安里』はクライマックスの飛行シーンが魅力的だった。しかし、飛ぶまでの盛り上げが成功していたかと言うと疑問点はある。さまざまなエピソードを工夫しているのだが、説明的なセリフが多く、ラストシーンまでが間延びしてしまっていたのが残念な一本だった。
さらに新垣氏の『飛び安里』は、全編を方言で執筆したということで特別賞を設定させていただいた。挑戦的な試みと、今後のコンテストでも同様の手法が生れてくることを期待しての受賞である。

新垣 敏(審査委員)

 応募13作という数は多くの皆様の関心の高さと興味をもって頂いた証拠であり、どの作品も飛び安里が書かせたであろうごとく強い意気込み気迫が感じられ、それが脚本の表情ある文字に表れていました。時には驚き笑い心をくすぐり、奇想天外な感性バトルの作品選定には審査委員として心躍るものがありまた。熱心に時代背景や史実に固執するあまり説明的な箇所も多少ありましたが、セリフ仕立て創作台本の難しさへ挑戦したという意味でどの作品に対しても称えたいと思います。
優秀作は高校演劇部員同士が「イキオイ」と「なんとなく」の両風船をはらんでいるかの様に、はじけそうで、そうならないもどかしさの印象もありましたが、次第に飛び安里神話のパズルに翻弄され、ぶつかりあっていく中で夢を膨らませていくイマ風の若者たちが投影されていたかと思います。劇中劇をとおして若人の夢をどう舞台表現されるのか新鮮味をもって期待したい。
佳作「イチャリバ」の少年たちが紙ひこうきを飛ばす入りは、なつかしい原風景を連想させ髙津嘉山の落とし穴にでも落ちてタイムスリップするのかと広い世界観へ希望を抱いて読んでいました。途中、キツイセリフ言葉がありましたが周当と勇樹が工夫しながら空への希望を見出すあたり、またバジルホールも登場させるワクワク感はユニークで面白い。 
もうひとつの佳作「飛び安里」は、少年期=カマド&ジロウが空へあこがれ成長とともに学問に励み努力を重ねる一方、たびたび事故にあう不運な男としての一面ものぞかせている。それでも屈せず公認の花火師として清国の船出演出を大仕掛けで演出し国王や大衆からの信頼と誇りを大成していく様は圧巻。花火師としての主役の位置付け、それぞれの登場人物もしっかり描かれ、ストーリー性もある作品かと思う。飛び安里として空から見たふるさとの描写も弁ガ岳、聞得大君がみえるといった表現は、自分も飛んでいるかの様で醍醐味感あふれる内容でありました。何よりタマシヌギタのは、あとで知った作者の年齢が81才ということ。物語、芝居仕立て、登場キャラ、構成展開など、大先輩に対してではありますが人間の感性は無限に一生成長し続けることに共感し、個人的に称賛の泡盛酌み交わしながらウチナー談義に酔いしれたいものであります。
特別賞作品は唯一全編ウチナー口で書かれた作品で作者の郷土愛シマーグワーへの気概、情熱、チムドンドン指数があがり称賛に値するものです。舞台作品のひとつとして郷土劇風にアレンジできる可能性を秘めた作品ではないかと思います。

募集要項

1.主旨

沖縄県「南風原町」には数多くの伝説が残されています。与那覇の『浦島太郎伝説』、宮城の『天女の羽衣伝説』などその場所に残る史跡とともに親から子へ、子から孫へと代々伝えられてきました。その中でもより人々の心に色濃く残る「飛び安里」。200年もの昔、「鳥のように空を飛ぶ」ことに夢とロマンをかけ、ついにはその夢を叶えた男の物語です。南風原町ヒーロー脚本賞ではその男を顕彰し「飛び安里」の脚本を募集、それを子供や一般に広く演じてもらうことを通して、情熱を燃やし、夢を叶えるため決して諦めない心の強さ、未来への希望をもつ大切さを後世に伝えていきたいと考え、実施します。

2.形式

ジャンルは舞台劇とし、一般が広く上演できるものとする。

3.応募条件
  1. ①県内在住のプロ・アマチュア/年齢を問わず応募できます。
  2. ②応募作品は公序良俗に反しないものに限ります。
  3. ③応募作品数は1人1点とします。
  4. ④各賞に選ばれた場合、授賞式に参加していただきます。
4.募集内容

日本語又はウチナーグチによる「飛び安里」のオリジナル舞台演劇脚本。作品は上演時間60分程度の作品とします。フィクション・ノンフィクションは問いません。尚、舞台化にあたり脚色を加える可能性があります。ご了承ください。

5.応募形式

日本語又はウチナーグチによる脚本形式かつ未発表のオリジナル作品に限ります。字数は、400字詰原稿用紙100枚程度とします。ワープロ・パソコン原稿は20字×20行で、無地用紙に印字すること。作品には表紙にタイトル、枚数、氏名、年齢、住所、電話番号を明記し、2枚目に400字以内のあらすじを添付すること。原稿は縦書きとし、右肩を綴じ通し頁番号をふり、下記の宛先に郵送。

6.応募開始

2015年2月21日(土)

7.締め切り

 2015年5月31日(日)当日消印有効

8.発表

2015年 7月末

9.審査員

赤嶺 政信(琉球大学法文学部国際言語文化学科教授)
真喜屋 力(映画監督)
富田 めぐみ(舞台演出家、ラジオパーソナリティなど)
新垣 敏(黄金森劇団) (※順不同)

10.賞金

優秀賞  10万円(1点)
佳作     3万円(2点)

11.お問い合わせ・送付先

〒901-1112 沖縄県島尻郡南風原町本部158
一般社団法人南風原町観光協会
TEL:098-851-7273 FAX:098-851-7109
ホームページ:http://www.haebaru-kankou.jp/

12.主催

一般社団法人 南風原町観光協会

13.後援

南風原町、南風原町教育委員会、南風原町商工会、株式会社琉球新報社、株式会社沖縄タイムス社、琉球放送株式会社、沖縄テレビ放送株式会社、琉球朝日放送株式会社 (※順不同)

14.著作権

受賞作品の著作権及び上演権は、主催者に帰属します。

15.注意事項

選考及び結果に関わる問合せについては返答しません。
要網に従わない作品については選考の対象外とします。
応募提出物は返却しません。

飛び安里とは

琉球王朝時代の鳥人=「飛び安里」

安里周當(あさと しゅうとう)は、琉球王家に代々つかえた花火職人の三代目です。首里鳥堀に生まれ、安里家の養子となって花火師の仕事を受け継ぎました。危険な火薬を扱う花火師は最先端の科学者として尊重された時代で、裕福な家系であったようです。
1800年に中国からの使者(冊封使)を迎えたときには、「松竹梅」の文字が現れる仕掛け花火を識名園で披露して、尚温王から褒章を受けました。
空を飛びたいという夢をいだき、飛行実験を繰り返した人物でした。大空への挑戦を続けた彼は、やがて「飛び安里」と呼ばれるようになりました。

南風原町の高津嘉山から飛行に成功

飛び安里はさまざまなタイプの飛行機を試作しましたが、はじめは失敗続きでした。改良に改良を重ねたのち、やがて鳥のように翼を羽ばたたかせる機体をつくりだしたと言われます。現代ではオーニソプターとよばれるタイプの飛行機です。数本の弓を支柱に取り付け、その上に翼を配置しました。強力な弓の弾力を補助として、脚力で翼を上下させたと伝えられています。(『資料集 飛び安里』より) 

ただし実際には羽ばたき機能はほとんど利用されず、大きな翼で風を受けることでグライダーのように滑空したのではないかと想像されています。翼幅9mにもなる大型の機体で、骨組みは軽くて丈夫な真竹が主材料でした。南風原町の高台である高津嘉山などの場所から飛行したとの言い伝えが残っています。

 
1999年には南風原町の町おこしグループが復元機で飛行。

飛び安里の機体は、1915年ごろまで子孫の家で保管されていました。しかし経年劣化や火事による消失で、機体も設計図も現在は残ってはいません。
やがて大正時代に飛び安里の存在が新聞で紹介されて以降、研究書や新聞記事などを通じて沖縄県民や航空関係者の間で「飛び安里」の名が少しずつ知られるようになりました。
さらに飛び安里が大きく注目を集めるようになったのは、1987年に沖縄三越で開催された「世界の鳥人 飛び安里200年展」がきっかけです。沖縄の偉人として再評価が始まりました。

1999年には南風原町の町おこしグループ「すきです南風原・夢・未来委員会」が、飛び安里の機体の想像図面をもとにして実物サイズのレプリカを製作し、実際に有人飛行に成功しました。同グループが2002年に製作した2分の1サイズのレプリカは、南風原町役場の1Fロビーに現在展示されています。

 
人類の有人飛行記録について。

人類の歴史上、大空への挑戦者はたくさんいました。後ウマイヤ朝のイブン・フィルナスによる飛行実験(9世紀後期)をはじめ、空を飛ぼうとした人物の話は数多くありますが、本当に飛べたと断定できる証拠はありません。明確な記録があるものとしては、1783年にフランスのモンゴルフィエ兄弟が熱気球を使って公開実験したのが、人類初の有人飛行とされています。
 

日本では、備前の国(現在の岡山県)の表具師である浮田幸吉(別名『鳥人幸吉』)が、1785年に自家製の飛行機で空を飛んだと言われていますが、これも伝承が残っているのみです。

飛び安里が初飛行したといわれる時期については「1780年」「1787年」など諸説あり、はっきりしません。もしも飛び安里が1780年に飛行に成功したのなら、モンゴルフィエ兄弟よりも早く、世界で初めて空を飛んだ人であった可能性もゼロではありません。
 

その後、1849年にイギリス人のケイリーがグライダーによる有人飛行に成功します。ドイツ人のリリエンタールはグライダーで2000回以上もフライトして有人飛行の実用化に道を開きました。1903年にはアメリカのライト兄弟が、エンジン付き飛行機で初飛行します。彼らの技術はたくさんの後継者によって受け継がれ、現代の航空機産業が発展しました。
残念ながら飛び安里の飛行技術は受け継ぐ者がなく、歴史の中に埋もれてしまいました。しかし飛び安里の功績と精神は、決して埋もれさせてはならないと思います。私たちの世代、そして私たちの子供の世代へと、飛び安里の夢とロマンと冒険心を伝えていきましょう。

 
「周冨」「周當」「周祥」、どれが本当の「飛び安里」?

飛び安里の機体や道具などは大正時代まで、図面は昭和初期まで残っていたことから、飛び安里が飛行機づくりに挑戦したことは間違いありません。飛行に成功したとの言い伝えも多数あります。しかしながら本当に飛んだのかというと、時代的・地域的な制約から、確実な記録は残っていないのが実情です。(ただし飛び安里への注目がもっと高まれば、埋もれていた新証拠が今後発見される可能性もあります。)

 

じつは「飛び安里」と呼ばれた人物についても諸説あります。安里家ニ代目の安里周冨(しゅうふ)が飛び安里であるとの説、三代目の周當(しゅうとう)だとする説、四代目の周祥(しゅうしょう)だとする説が存在します。
現在では、安里家の子孫による調べによって、三代目の周當が飛び安里であるとの説が有力視されています。
インターネット上には、周當と周祥の親子二代にわたって飛行に挑戦したと記載しているサイトもありますが、それはあくまで想像上のお話です。
 

飛び安里の性格や暮らしぶりも、飛んだとされる年代・場所も不明確なところがたくさんあります。でも、だからこそ歴史的な事実にしばられることが少なく、物語を自由につくりやすいと言うこともできます。脚本賞に応募するにあたっては、キャラクターやストーリーをさまざまに肉付けして、魅力あるヒーローとして新たな飛び安里像を創造してください。

参考資料

 

飛び安里に関する文献や外部サイトへのリンクなどを集めました。応募用の脚本をつくる際の参考資料としてご利用ください。

 
資料展示・記念碑・書籍・絵本など

飛び安里の飛行機模型(2分の1スケールのレプリカ)
南風原町役場1階ロビーに展示されています。

飛び安里初飛翔記念碑
飛び安里が飛び立ったといわれる高津嘉山の丘の上にあるモニュメントです。

『資料集 飛び安里』
発行:「飛び安里」初飛翔顕彰記念実行委員会、価格:500円+税
代表的な資料がまとまっています。脚本を書かれる方はぜひお読みください。
→南風原文化センター受付にて販売しています。

絵本『沖縄の鳥人 飛びアンリー』
著者:儀間比呂志(版画家) 発行:海風社、発行年:2000、価格:1600円+税
※出版社サイトから注文できます。

小説『空飛ぶ表具屋』
作者:筒井康隆(新潮文庫『傾いた世界―自選ドタバタ傑作集 2』または『将軍が目醒めた時』所収)
飛び安里と同時代に空を飛ぼうとした浮田幸吉をモデルにした短編小説。飛び安里の脚本づくりの参考にもなるのではないでしょうか。

南風原のヒーローたち

ヒーローとは、子供たちに勇気をあたえて夢とロマンにみちびいてくれる存在です。飛び安里のほかにも、南風原町にはヒーローに関連する偉人やキャラクターがたくさんいます。

金城哲夫とウルトラマン

金城哲夫(1938年~1976年)は、南風原町出身の脚本家です。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など、ウルトラシリーズの生みの親の一人として有名です。
脚本を書いただけではなく、ウルトラシリーズをゼロから企画立案する作業の中心人物となり、ウルトラマンや怪獣などのキャラクターや物語を方向づけるのに大きな役割を果たしました。
金城たちが創造したウルトラマンは、日本を代表するヒーローとして今も活躍を続けています。

金城哲夫のドラマ脚本と飛び安里

1966年~1968年にかけてTBS系列で『泣いてたまるか』というテレビドラマが放映されていました。このシリーズのなかで金城が脚本を担当した回があります。
この回のタイトルは「翼あれば」。主演は青島幸男、監督はウルトラシリーズの演出でも知られる円谷一です。「翼あれば」は、2014年9月に南風原町公民館で上映会をしたので、ご覧になった町民もたくさんおられるでしょう。
ストーリーは、青島幸男演じる大学の研究員が人力飛行機の製作に挑戦するというものです。自転車のペダルでプロペラを回す人力飛行機に乗り、飛行テストをしては失敗を繰り返します。先輩教授に「鳥人幸吉じゃあるまいし」と怒られたり、妻に心配をかけながらも、最後には飛行に成功します。
人力飛行機に夢中となっている主人公の姿は、飛び安里にダブって見えます。飛び安里を念頭において脚本が書かれたのかどうかはわかりませんが、南風原町出身の金城哲夫が飛び安里の目指した夢を物語に込めたのかもしれないなとロマンチックな想像をしたくなります。

黄金戦隊かぼっちゃマン

南風原町の名産品をもとにして生まれたローカルヒーローです。
かぼちゃの化身「かぼっちゃマン」、ストレリチアの花の化身「ストレッチャーマン」、琉球かすりの化身「かすり姫」の3人が悪とたたかいます。
1999年に登場して以来、さまざまなイベントで子供たちを喜ばせてくれました。求人情報誌のテレビCMに出演したこともあります。2009年、惜しまれつつ活動休止しました。
まだ全国的にもローカルヒーローというものが珍しかった時代に活動を始めたパイオニア的な存在です。

南風原新伝説 飛勇人

2013年に「第一回はえるんフェスティバル」でデビューした南風原町の新しいヒーローたちです。6人それぞれが、南風原町の偉人や民話をもとにしたキャラクターです。
町内のイベントでヒーローショーを演じたり、小学校を訪れて「うちなーぐち教室」を開くなど、子供たちを元気づけ沖縄の文化を伝えるため活躍しています。

飛勇人(ヒュート)
琉球王朝時代に空を飛んだ偉人「飛び安里」をモデルにしたヒーローです。
[飛び安里のお話・津嘉山]

ビレア姫
羽衣(はごろも)をまとって空から降りてきた天女(てんにょ)をイメージしたヒロインです。
[羽衣伝説・宮城]

ユクツナ様
巨大な亀を捕まえた善綱大屋子(ユクツナウフヤク)の物語から生まれました。
[善綱大屋子伝説・宮平]

アダンマー
南風原町の昔話「アダンの実」にちなんだキャラクター。敵の女ボスです。
[アダンの実の民話・神里]

サメノリ(兄)
黄金森から発掘されたサメの歯の化石をもとにした敵キャラクターです。
[サメの歯の化石・黄金森]

サメ太(弟)
サメノリと同じくサメブラザーズの一員です。
[サメの歯の化石・黄金森]

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