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金城哲夫脚本賞

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金城哲夫の功績を顕彰して脚本を募集します

金城哲夫は沖縄県南風原町出身の作家・脚本家です。初期ウルトラシリーズの企画・脚本、テレビ・ラジオ番組の司会、数々の沖縄芝居の脚本など、さまざまな分野で活躍しました。
「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」では、制作の中心的役割を果たしたことで知られています。
人々に愛される作品を数多く生み出した金城哲夫の功績を讃え、彼に続くクリエイターを育てることを目的にして、「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」の募集を開始します。

一般社団法人南風原町観光協会  円谷プロダクション

募集要項

締め切り 2016年10月31日(月)当日消印有効
賞金 大賞 50万円(1点)
佳作   10万円(2点)
募集内容 沖縄を題材にした作品を募集

  • 日本語又はウチナー口による『沖縄を題材』としたオリジナル作品。時代背景・フィクション・ノンフィクションは問いません。
  • ジャンルは台詞劇とし、一般が広く上演できるものとします。
主催 一般社団法人南風原町観光協会
共催 南風原町、南風原町教育委員会、南風原町商工会
後援 沖縄県、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、公益財団法人沖縄県文化振興会、株式会社沖縄タイムス社、株式会社琉球新報社、琉球放送株式会社、沖縄テレビ放送株式会社、日本放送協会沖縄放送局、琉球朝日放送株式会社、株式会社ラジオ沖縄、株式会社エフエム沖縄、沖縄ケーブルネットワーク株式会社(※順不同)
協力 株式会社円谷プロダクション
詳しくはこちらから
 
 
同時開催「円谷プロダクションクリエイティブアワード 金城哲夫賞」新しい映像作品の企画・脚本を募集します。
 
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金城哲夫脚本賞

金城哲夫topページ (2017-0330)

金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞 受賞者発表
 

『金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞』は平成28年7月7日(木)より募集が始まり、平成28年10月31日(月)に応募を締め切りました。全部で36作品のご応募をいただき、うち沖縄県内からの応募21作品、県外からの応募15作品でした。
厳正な審査が行われ、金城哲夫氏の命日にあたる平成29年2月26日に3作品が受賞作として発表されました。
今回の脚本賞が、金城哲夫に続く新しい才能の発掘につながることを期待します。受賞作については出版や舞台化などを進めて普及を図ります。

『金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞』受賞作

名前 住所 年齢 職業・学歴 作品タイトル
大賞 山中 基義 兵庫県 51歳 自営業 星空の秘密
佳作 宮城 淳 沖縄県那覇市 63歳 小学校非常勤講師 妖火日(ようかびー)
佳作 近本 洋一 沖縄県中頭郡北中城村 41歳 作家 鉄ぬ世(くろがねぬよ)

審査員からの講評

 

受賞者の言葉

 

受賞作のあらすじ

 
一般社団法人南風原町観光協会  円谷プロダクション

募集要項

締め切り 2016年10月31日(月)当日消印有効
賞金 大賞 50万円(1点)
佳作   10万円(2点)
募集内容 沖縄を題材にした作品を募集

  • 日本語又はウチナー口による『沖縄を題材』としたオリジナル作品。時代背景・フィクション・ノンフィクションは問いません。
  • ジャンルは台詞劇とし、一般が広く上演できるものとします。
主催 一般社団法人南風原町観光協会
共催 南風原町、南風原町教育委員会、南風原町商工会
後援 沖縄県、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、公益財団法人沖縄県文化振興会、株式会社沖縄タイムス社、株式会社琉球新報社、琉球放送株式会社、沖縄テレビ放送株式会社、日本放送協会沖縄放送局、琉球朝日放送株式会社、株式会社ラジオ沖縄、株式会社エフエム沖縄、沖縄ケーブルネットワーク株式会社(※順不同)
協力 株式会社円谷プロダクション
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金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞 受賞者発表
 

『金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞』は平成28年7月7日(木)より募集が始まり、平成28年10月31日(月)に応募を締め切りました。全部で36作品のご応募をいただき、うち沖縄県内からの応募21作品、県外からの応募15作品でした。
厳正な審査が行われ、金城哲夫氏の命日にあたる平成29年2月26日に3作品が受賞作として発表されました。
今回の脚本賞が、金城哲夫に続く新しい才能の発掘につながることを期待します。受賞作については出版や舞台化などを進めて普及を図ります。

『金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞』受賞作

名前 住所 年齢 職業・学歴 作品タイトル
大賞 山中 基義 兵庫県 51歳 自営業 星空の秘密
佳作 宮城 淳 沖縄県那覇市 63歳 小学校非常勤講師 妖火日(ようかびー)
佳作 近本 洋一 沖縄県中頭郡北中城村 41歳 作家 鉄ぬ世(くろがねぬよ)

審査員からの講評

 

受賞者の言葉

 

受賞作のあらすじ

 
一般社団法人南風原町観光協会  円谷プロダクション

募集要項

締め切り 2016年10月31日(月)当日消印有効
賞金 大賞 50万円(1点)
佳作   10万円(2点)
募集内容 沖縄を題材にした作品を募集

  • 日本語又はウチナー口による『沖縄を題材』としたオリジナル作品。時代背景・フィクション・ノンフィクションは問いません。
  • ジャンルは台詞劇とし、一般が広く上演できるものとします。
主催 一般社団法人南風原町観光協会
共催 南風原町、南風原町教育委員会、南風原町商工会
後援 沖縄県、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、公益財団法人沖縄県文化振興会、株式会社沖縄タイムス社、株式会社琉球新報社、琉球放送株式会社、沖縄テレビ放送株式会社、日本放送協会沖縄放送局、琉球朝日放送株式会社、株式会社ラジオ沖縄、株式会社エフエム沖縄、沖縄ケーブルネットワーク株式会社(※順不同)
協力 株式会社円谷プロダクション
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新着情報

「南風原町ヒーロー脚本大賞」募集要項を掲載しました。

「南風原町ヒーロー脚本賞」の詳細についてまとめた募集要項を掲載しました。

http://www.haebaru-kankou.jp/sinario-boshu.html

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新着情報

2/13に「南風原町ヒーロー脚本賞」発表会見を実施します。

南風原町観光協会は、琉球王朝時代に空を飛んだとされる「飛び安里」をテーマにした「南風原町ヒーロー脚本賞」を募集することになりました。
2015年2月13日に、南風原町役場1階にて発表会見を開催して「南風原町ヒーロー脚本賞」の詳細を発表いたします。会見の受付開始は13時30分、会見開始は14時です。
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新着情報

「ヒーローの町はえばる」ホームページをオープンしました。

「南風原町ヒーロー脚本賞」の募集にあたって「ヒーローの町はえばる」ホームページをオープンしました。

「飛び安里」をはじめとして、南風原のヒーローと呼べる偉人やキャラクターを紹介してまいります。

http://www.haebaru-kankou.jp/hero.html

 
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未分類 ヒーローの町南風原

参考資料

 

飛び安里に関する文献や外部サイトへのリンクなどを集めました。応募用の脚本をつくる際の参考資料としてご利用ください。

 
飛び安里関連PDFファイル(ダウンロードしてお読みください)

 
飛び安里関連リンク集(インターネット上の記事へのリンクです)
 
資料展示・記念碑・書籍・絵本など
飛び安里の飛行機模型(2分の1スケールのレプリカ)
南風原町役場1階ロビーに展示されています。

飛び安里初飛翔記念碑
飛び安里が飛び立ったといわれる高津嘉山の丘の上にあるモニュメントです。

 

『資料集 飛び安里』
発行:「飛び安里」初飛翔顕彰記念実行委員会、価格:500円+税
代表的な資料がまとまっています。脚本を書かれる方はぜひお読みください。
南風原文化センター受付にて販売しています。

絵本『沖縄の鳥人 飛びアンリー』
著者:儀間比呂志(版画家) 発行:海風社、発行年:2000、価格:1600円+税
※出版社サイトから注文できます。

 
小説『空飛ぶ表具屋』
作者:筒井康隆(新潮文庫『傾いた世界―自選ドタバタ傑作集 2』または『将軍が目醒めた時』所収)
飛び安里と同時代に空を飛ぼうとした浮田幸吉をモデルにした短編小説。飛び安里の脚本づくりの参考にもなるのではないでしょうか。
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金城哲夫脚本賞

南風原のヒーローたち

南風原のヒーローたち

ヒーローとは、子供たちに勇気をあたえて夢とロマンにみちびいてくれる存在です。金城哲夫のほかにも、南風原町にはヒーローに関連する偉人やキャラクターがたくさんいます。

 

飛び安里

安里周當(あさと しゅうとう)は、琉球王朝時代に南風原町の高津嘉山からの飛行に成功したと言われている偉人です。
首里鳥堀に生まれ、安里家の養子となって花火師の仕事を受け継ぎました。1800年に中国からの使者(冊封使)を迎えたとき、「松竹梅」の文字が現れる仕掛け花火を識名園で披露し、尚温王から褒章を受ける程の技術者だったそうです。
空を飛びたいという夢をいだき、飛行実験を繰り返し挑戦を続けた周當はやがて「飛び安里」と呼ばれるようになりました。
飛び安里が飛翔したとされている南風原町津嘉山の高津崋山には「飛び安里初飛翔顕彰記念碑」が建設されており、南風原町役場には翼のレプリカが展示されています。

 

 

黄金戦隊かぼっちゃマン

南風原町の名産品をもとにして生まれたローカルヒーローです。
かぼちゃの化身「かぼっちゃマン」、ストレリチアの花の化身「ストレッチャーマン」、琉球かすりの化身「かすり姫」の3人が悪とたたかいます。
1999年に登場して以来、さまざまなイベントで子供たちを喜ばせてくれました。求人情報誌のテレビCMに出演したこともあります。2009年、惜しまれつつ活動休止しました。
まだ全国的にもローカルヒーローというものが珍しかった時代に活動を始めたパイオニア的な存在です。

 

 

南風原新伝説 飛勇人

2013年に「第一回はえるんフェスティバル」でデビューした南風原町の新しいヒーローたちです。6人それぞれが、南風原町の偉人や民話をもとにしたキャラクターです。
町内のイベントでヒーローショーを演じたり、小学校を訪れて「うちなーぐち教室」を開くなど、子供たちを元気づけ沖縄の文化を伝えるため活躍しています。
南風原新伝説 飛勇人のFacebookページ

 
飛勇人(ヒュート)
琉球王朝時代に空を飛んだ偉人「飛び安里」をモデルにしたヒーローです。
[飛び安里のお話・津嘉山]
ビレア姫
羽衣(はごろも)をまとって空から降りてきた天女(てんにょ)をイメージしたヒロインです。
[羽衣伝説・宮城]
ユクツナ様
巨大な亀を捕まえた善綱大屋子(ユクツナウフヤク)の物語から生まれました。
[善綱大屋子伝説・宮平]
 
アダンマー
南風原町の昔話「アダンの実」にちなんだキャラクター。敵の女ボスです。
[アダンの実の民話・神里]
サメノリ(兄)
黄金森から発掘されたサメの歯の化石をもとにした敵キャラクターです。
[サメの歯の化石・黄金森]
サメ太(弟)
サメノリと同じくサメブラザーズの一員です。

[サメの歯の化石・黄金森]

 
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未分類 ヒーローの町南風原

南風原のヒーローたち

ヒーローとは、子供たちに勇気をあたえて夢とロマンにみちびいてくれる存在です。飛び安里のほかにも、南風原町にはヒーローに関連する偉人やキャラクターがたくさんいます。

 

金城哲夫とウルトラマン

金城哲夫(1938年~1976年)は、南風原町出身の脚本家です。「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など、ウルトラシリーズの生みの親の一人として有名です。
脚本を書いただけではなく、ウルトラシリーズをゼロから企画立案する作業の中心人物となり、ウルトラマンや怪獣などのキャラクターや物語を方向づけるのに大きな役割を果たしました。
金城たちが創造したウルトラマンは、日本を代表するヒーローとして今も活躍を続けています。

 

金城哲夫のドラマ脚本と飛び安里

1966年~1968年にかけてTBS系列で『泣いてたまるか』というテレビドラマが放映されていました。このシリーズのなかで金城が脚本を担当した回があります。
この回のタイトルは「翼あれば」。主演は青島幸男、監督はウルトラシリーズの演出でも知られる円谷一です。「翼あれば」は、2014年9月に南風原町公民館で上映会をしたので、ご覧になった町民もたくさんおられるでしょう。
ストーリーは、青島幸男演じる大学の研究員が人力飛行機の製作に挑戦するというものです。自転車のペダルでプロペラを回す人力飛行機に乗り、飛行テストをしては失敗を繰り返します。先輩教授に「鳥人幸吉じゃあるまいし」と怒られたり、妻に心配をかけながらも、最後には飛行に成功します。
人力飛行機に夢中となっている主人公の姿は、飛び安里にダブって見えます。飛び安里を念頭において脚本が書かれたのかどうかはわかりませんが、南風原町出身の金城哲夫が飛び安里の目指した夢を物語に込めたのかもしれないなとロマンチックな想像をしたくなります。

 

 

黄金戦隊かぼっちゃマン

南風原町の名産品をもとにして生まれたローカルヒーローです。
かぼちゃの化身「かぼっちゃマン」、ストレリチアの花の化身「ストレッチャーマン」、琉球かすりの化身「かすり姫」の3人が悪とたたかいます。
1999年に登場して以来、さまざまなイベントで子供たちを喜ばせてくれました。求人情報誌のテレビCMに出演したこともあります。2009年、惜しまれつつ活動休止しました。
まだ全国的にもローカルヒーローというものが珍しかった時代に活動を始めたパイオニア的な存在です。

 

 

南風原新伝説 飛勇人

2013年に「第一回はえるんフェスティバル」でデビューした南風原町の新しいヒーローたちです。6人それぞれが、南風原町の偉人や民話をもとにしたキャラクターです。
町内のイベントでヒーローショーを演じたり、小学校を訪れて「うちなーぐち教室」を開くなど、子供たちを元気づけ沖縄の文化を伝えるため活躍しています。
南風原新伝説 飛勇人のFacebookページ

 
飛勇人(ヒュート)
琉球王朝時代に空を飛んだ偉人「飛び安里」をモデルにしたヒーローです。
[飛び安里のお話・津嘉山]
ビレア姫
羽衣(はごろも)をまとって空から降りてきた天女(てんにょ)をイメージしたヒロインです。
[羽衣伝説・宮城]
ユクツナ様
巨大な亀を捕まえた善綱大屋子(ユクツナウフヤク)の物語から生まれました。
[善綱大屋子伝説・宮平]
 
アダンマー
南風原町の昔話「アダンの実」にちなんだキャラクター。敵の女ボスです。
[アダンの実の民話・神里]
サメノリ(兄)
黄金森から発掘されたサメの歯の化石をもとにした敵キャラクターです。
[サメの歯の化石・黄金森]
サメ太(弟)
サメノリと同じくサメブラザーズの一員です。
[サメの歯の化石・黄金森]
 
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飛び安里とは


 

琉球王朝時代の鳥人=「飛び安里」

安里周當(あさと しゅうとう)は、琉球王家に代々つかえた花火職人の三代目です。首里鳥堀に生まれ、安里家の養子となって花火師の仕事を受け継ぎました。危険な火薬を扱う花火師は最先端の科学者として尊重された時代で、裕福な家系であったようです。
1800年に中国からの使者(冊封使)を迎えたときには、「松竹梅」の文字が現れる仕掛け花火を識名園で披露して、尚温王から褒章を受けました。
空を飛びたいという夢をいだき、飛行実験を繰り返した人物でした。大空への挑戦を続けた彼は、やがて「飛び安里」と呼ばれるようになりました。

 

南風原町の高津嘉山から飛行に成功

飛び安里はさまざまなタイプの飛行機を試作しましたが、はじめは失敗続きでした。改良に改良を重ねたのち、やがて鳥のように翼を羽ばたたかせる機体をつくりだしたと言われます。現代ではオーニソプターとよばれるタイプの飛行機です。数本の弓を支柱に取り付け、その上に翼を配置しました。強力な弓の弾力を補助として、脚力で翼を上下させたと伝えられています。(『資料集 飛び安里』より) 

ただし実際には羽ばたき機能はほとんど利用されず、大きな翼で風を受けることでグライダーのように滑空したのではないかと想像されています。翼幅9mにもなる大型の機体で、骨組みは軽くて丈夫な真竹が主材料でした。南風原町の高台である高津嘉山などの場所から飛行したとの言い伝えが残っています。

 
1999年には南風原町の町おこしグループが復元機で飛行。

飛び安里の機体は、1915年ごろまで子孫の家で保管されていました。しかし経年劣化や火事による消失で、機体も設計図も現在は残ってはいません。
やがて大正時代に飛び安里の存在が新聞で紹介されて以降、研究書や新聞記事などを通じて沖縄県民や航空関係者の間で「飛び安里」の名が少しずつ知られるようになりました。
さらに飛び安里が大きく注目を集めるようになったのは、1987年に沖縄三越で開催された「世界の鳥人 飛び安里200年展」がきっかけです。沖縄の偉人として再評価が始まりました。

1999年には南風原町の町おこしグループ「すきです南風原・夢・未来委員会」が、飛び安里の機体の想像図面をもとにして実物サイズのレプリカを製作し、実際に有人飛行に成功しました。

 
人類の有人飛行記録について。

人類の歴史上、大空への挑戦者はたくさんいました。後ウマイヤ朝のイブン・フィルナスによる飛行実験(9世紀後期)をはじめ、空を飛ぼうとした人物の話は数多くありますが、本当に飛べたと断定できる証拠はありません。明確な記録があるものとしては、1783年にフランスのモンゴルフィエ兄弟が熱気球を使って公開実験したのが、人類初の有人飛行とされています。
 

日本では、備前の国(現在の岡山県)の表具師である浮田幸吉(別名『鳥人幸吉』)が、1785年に自家製の飛行機で空を飛んだと言われていますが、これも伝承が残っているのみです。

飛び安里が初飛行したといわれる時期については「1780年」「1787年」など諸説あり、はっきりしません。もしも飛び安里が1780年に飛行に成功したのなら、モンゴルフィエ兄弟よりも早く、世界で初めて空を飛んだ人であった可能性もゼロではありません。
 

その後、1849年にイギリス人のケイリーがグライダーによる有人飛行に成功します。ドイツ人のリリエンタールはグライダーで2000回以上もフライトして有人飛行の実用化に道を開きました。1903年にはアメリカのライト兄弟が、エンジン付き飛行機で初飛行します。彼らの技術はたくさんの後継者によって受け継がれ、現代の航空機産業が発展しました。
残念ながら飛び安里の飛行技術は受け継ぐ者がなく、歴史の中に埋もれてしまいました。しかし飛び安里の功績と精神は、決して埋もれさせてはならないと思います。私たちの世代、そして私たちの子供の世代へと、飛び安里の夢とロマンと冒険心を伝えていきましょう。

 

「周冨」「周當」「周祥」、どれが本当の「飛び安里」?

飛び安里の機体や道具などは大正時代まで、図面は昭和初期まで残っていたことから、飛び安里が飛行機づくりに挑戦したことは間違いありません。飛行に成功したとの言い伝えも多数あります。しかしながら本当に飛んだのかというと、時代的・地域的な制約から、確実な記録は残っていないのが実情です。(ただし飛び安里への注目がもっと高まれば、埋もれていた新証拠が今後発見される可能性もあります。)

 

じつは「飛び安里」と呼ばれた人物についても諸説あります。安里家ニ代目の安里周冨(しゅうふ)が飛び安里であるとの説、三代目の周當(しゅうとう)だとする説、四代目の周祥(しゅうしょう)だとする説が存在します。
現在では、安里家の子孫による調べによって、三代目の周當が飛び安里であるとの説が有力視されています。
インターネット上には、周當と周祥の親子二代にわたって飛行に挑戦したと記載しているサイトもありますが、それはあくまで想像上のお話です。
 

飛び安里の性格や暮らしぶりも、飛んだとされる年代・場所も不明確なところがたくさんあります。でも、だからこそ歴史的な事実にしばられることが少なく、物語を自由につくりやすいと言うこともできます。脚本賞に応募するにあたっては、キャラクターやストーリーをさまざまに肉付けして、魅力あるヒーローとして新たな飛び安里像を創造してください。