南風原町で沖縄戦を考える

2024年8月12日 カテゴリ:新着情報

9月に戦跡ツアー、10月に兼城ツアー

10月12日は何の日かご存じですか。「南風原町民平和の日」です。1946(昭和21)年10月12日、南風原村役所の業務が地元(現・南風原小学校)で再開されたのにちなみ制定されました。毎年、関連イベントを開催し戦争や平和について考える機会になっています。観光協会では9月14日、陸軍病院壕や津嘉山地域を訪れる戦跡ツアー、10月12日には兼城まち歩きツアーを実施します。詳しくは6月24日投稿の「2024年度まち歩きツアー予定表」をご覧ください。

 南風原町の歴史を語る上で沖縄戦は避けて通れません。当時の住民のうち4割以上が戦災で亡くなったといわれます。なぜ、そのように多くの犠牲者を出すことになったのでしょうか。

 南風原町は本島南部では交通の要衝にあたるため、前線に対する後方支援部隊が数多くすべての集落に部隊が駐留します。重要拠点には野戦重砲、高射砲、機関砲などが設置されます。南西諸島を守る第32軍の司令部壕といえば首里城地下が知られていますが、当初は南風原町津嘉山に建設する計画でした。司令部機能が首里へ移転した後は、軍事物資や軍資金を管理する部隊(司令部経理部)が配備されます。証言などによれば壕の長さは全長2キロに及んだといわれます。

また、字喜屋武(黄金森)や字兼城(現在の役場北側)などに壕が掘られ、沖縄陸軍病院が移転します。ここでは看護補助要員としてひめゆり学徒220人余りが動員されます。1945(昭和20)年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸した後は、負傷兵が激増し女子学徒たちは医療器具や医薬品、食料が不足する中、凄惨な治療現場で懸命に働きます。陸軍病院に撤退命令が出されると、重症患者に青酸カリが配られ「自決」が強要されます。

 同年5月に入ると、前線からの敗走兵や本島中部からの避難民が町内に目立つようになります。5月27日夜から29日にかけて、首里から摩文仁へ移動する途中の牛島司令官ら軍幹部が津嘉山の経理部壕に滞在しますが、司令部の撤退に気づいた米軍が大砲や艦砲で津嘉山に集中砲火を浴びせ一帯は焼け野原になります。一般兵士や住民も一日橋、宇平(山川)橋や兼城十字路に殺到します。南部への主要な避難経路だったためですが、米軍はこれらの橋や十字路を狙って砲弾の雨を降らせます。死体の山が築かれることになり、後に「死の橋」「死の十字路」と呼ばれるようになります。『那覇市史』や『南風原町史』には次のような証言があります。

 「(われわれ師範隊は)夕暮れ、降りしきる雨の中を識名を通って一日橋を渡り東風平村志多伯で一泊した。もちろん昼は壕にひそみ夜になって行軍するのである。一日橋を渡るのはそれこそ命がけであった。首里方面から南部への退却路は一日橋と真玉橋しかないのである。米軍はこの二つの橋に照準を合わせて、それこそ四六時中砲弾の雨を降らしていた。五月の長雨と砲弾により掘りかえされた道路はそれこそ泥の海でひざまでつかった。橋の手前で待機し、ドカンドカンと炸裂すると同時にソレッとばかり飛び出し、一目散に駆け抜けるのである。そうしないと次のドカンでたちまちやられてしまうのである。幸い、一人の犠牲者もなく全員一日橋を通過した。途中、るいるいと折り重なる屍体をふみわけて進んだり、幼い子どもや老人、負傷した兵が泥の中で助けを求めてすがりついてくるのであるが、どうすることもできなかった」

 「(字本部に陣地を置いた通信隊の)撤退は5月の末ギリギリで、米軍が黄金森の山の上に立ち並んでいるのがみえた。我々の壕は入口を周囲から土石でふさいでいった。死の橋と言われた山川橋の周辺から約1キロ半は、後から通る人が死体を道路の端にどけるので、死体が土手のように道端に積み重なった状態が続いていた。陸軍病院壕からの撤退が始まったらしく、たくさんの傷病兵が南へ向かっていた。手や足を切断された人までが地面を這っていた。それは地獄絵図のようだった」(字本部の通信隊に配属された14歳の男子学徒)

 「本部を後にして山川にさしかかったときに、山川の人がいたので、『小さい子どもを連れて行くのは大変なので、ここに一晩泊めてください』と頼んだら、『ここの壕はいっぱいだから入れることはできない。早くあっちに逃げろ。敵にみつかったら俺たちもやられる。』と言って追い返されました。私はこの言葉にとてもショックを受けました。いまだにこの言葉を忘れることが出来ません。それから、どこへ逃げていいのか、どうしたらいいのかわからずにそこをウロウロしていました。山川橋のところもたくさんの人が死んでいました。橋も壊されていたので人間を積んで、みんなは橋のように渡っていました。もう、逃げ惑うのが先で他のことを考える余裕もありませんでした」(南部へ避難する字本部出身の女性)

※参考文献:

南風原町史第3巻 戦争編ダイジェスト版『南風原が語る沖縄戦』(南風原町史編集員会 1999年)

南風原町史第9巻 戦争編本編『戦世の南風原 語る のこす つなぐ』(南風原町史編集委員会 2013年)