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熊本地震被害への義援金ご協力のお願いです

平成28年4月14日の熊本地震から約9ケ月経過しましたが、今でも多くの方が被災され、不自由な生活をしいられています。
 南阿蘇黒川地区、益城町全域、立野地区は家屋損壊、危険指定など、特に甚大な被害をうけておりこの地区の復旧には家屋解体作業が急務ですが、解体に伴う家財、個人の財産の保管場所の確保に多くの方々が苦慮されております。
 そこで、みなみあそ村観光協会では寄付金で一時的な家財保管場所としてコンテナを購入し無料で被災者へ貸出をしており、今現在でもまだまだ必要としています。当協会は同じ観光協会として賛同し送金したいと考えております。

ご賛同いただける方は、南風原町観光協会、はえばる観光案内所にご連絡くださいますようお願い致します。

連絡先:南風原町観光協会  851-7273
    はえばる観光案内所 882-6776

期間:~平成29年1月31日(火)
募金目安額:1口 3,000円

受賞結果発表日ならびに授賞式について

10月31日(月)に応募が締め切られた「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」は、最終的に全36点のご応募をいただきました。そのうち沖縄県内からの応募が21点、県外からの応募が15点でした。
沖縄の歴史を題材にしたもの、伝記・伝説を題材にしたものなど、幅広いジャンルの力作が集まりました。締切当日の消印で郵送された応募作も多く、ぎりぎりまで推敲を重ねて良い作品に仕上げようとした執筆者の熱意が伝わりました。
ご応募いただいた作品については、厳正な審査を進めております。

このたび、脚本賞の受賞結果発表の日にちが決まりましたのでご案内します。

【受賞結果の発表について】

日時:2017年2月26日(日)
金城哲夫の没後41年目の命日である2017年2月26日を脚本賞の受賞結果発表の日としました。
場所ならびに発表方法についてはホームページでお知らせいたします。

【授賞式について】

後日、金城哲夫氏の生家である「松風苑」にて行なう予定です。

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受賞結果発表日ならびに授賞式について

10月31日(月)に応募が締め切られた「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」は、最終的に全36点のご応募をいただきました。そのうち沖縄県内からの応募が21点、県外からの応募が15点でした。
沖縄の歴史を題材にしたもの、伝記・伝説を題材にしたものなど、幅広いジャンルの力作が集まりました。締切当日の消印で郵送された応募作も多く、ぎりぎりまで推敲を重ねて良い作品に仕上げようとした執筆者の熱意が伝わりました。
ご応募いただいた作品については、厳正な審査を進めております。

このたび、脚本賞の受賞結果発表の日にちが決まりましたのでご案内します。

【受賞結果の発表について】

日時:2017年2月26日(日)
金城哲夫の没後41年目の命日である2017年2月26日を脚本賞の受賞結果発表の日としました。
場所ならびに発表方法についてはホームページでお知らせいたします。

【授賞式について】

後日、金城哲夫氏の生家である「松風苑」にて行なう予定です。

「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」の記者会見を実施しました。

平成28年7月7日(木)午後2時より、南風原町役場にて「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」の記者会見を実施しました。
「ウルトラマン」シリーズの生みの親の一人である脚本家・金城哲夫氏のふるさとである南風原町から全国に向けて作品募集を呼びかけました。

 
 

募集テーマは「沖縄」。沖縄を題材にした脚本なら、日本語でもウチナー口でも応募可能です。沖縄を愛し、沖縄芝居の脚本を数多く執筆した金城哲夫氏のように、歴史や文化を未来に向けて発信するような脚本家の誕生を期待しています。

脚本の応募期間は平成28年7月7日(木)~平成28年10月31日(月)となっており、受賞作は舞台化や南風原町の宣伝・広報等に使用されます。
南風原町出身の脚本家・金城哲夫氏の記念すべき脚本賞へのご応募お待ちしています。

 

今回の脚本賞は、円谷プロとの協力のもとに計画されました。円谷プロでも「円谷プロダクション クリエイティブアワード 金城哲夫賞」を南風原町と同時に実施します。
金城哲夫氏の残した功績を継承し、新たな才能を発掘したいという双方の思いが一致し、南風原町観光協会は台詞劇の脚本を、円谷プロはテレビドラマの企画・脚本を募集します。

 

【『金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞』 記者会見実施概要】
日時:平成28年7月7日(木) 14:00~15:00、場所 :南風原町役場 1階ロビー

1.開会の挨拶 南風原町観光協会 副会長 金城敬宝
 
2.出席者の紹介 司会 金城朋枝
 
3.主催者代表挨拶 南風原町観光協会 会長 照屋盛夫
 
4.町代表挨拶 南風原町 町長 城間俊安
 
5.『金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞』開催内容の説明 『金城哲夫脚本賞』運営委員長 末吉真也
 
6.『円谷プロダクション クリエイティブアワード 金城哲夫賞』開催内容の説明

株式会社円谷プロダクション 管理本部 経営管理部長 高橋良太
同 IP企画製作部 マネージャー 谷岡拡

 
7.質疑応答
 
8.閉会の挨拶 『金城哲夫脚本賞』企画部長 赤嶺豊光
 

「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」の募集が始まります

「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」の募集が始まりました。
「沖縄」をテーマとした台詞劇の脚本をジャンルは問わずに募集しております。自由な発想で創作してください。金城哲夫のスピリットを継ぐ新しい才能の到来をお待ちしております。

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金城哲夫脚本賞

参考資料

参考資料

金城哲夫について知りたい方のために、資料となる書籍やDVDを集めました。ほとんどの資料は絶版となっていますが、図書館などで閲覧することができます。


  • 山田輝子「ウルトラマンを創った男―金城哲夫の生涯」(朝日文庫)

    著者は、金城哲夫の高校時代の先輩。地道な聞き取り作業をもとに金城の生涯を浮かび上がらせます。金城哲夫を知るために欠かせない貴重な記録です。

     

  • 上原正三「金城哲夫 ウルトラマン島唄」(筑摩書房)

    著者は沖縄出身の脚本家。多数の人気番組を生み出して、70~90年代における特撮・アニメの脚本家としてトップランナーの一人といえる活躍をしました。同じウチナンチューとしての視点を活かしながら、ともに円谷プロで活動した金城哲夫について書きつづりました。

     

  • 金城哲夫シナリオ選集を出版する会 編「金城哲夫シナリオ選集」(アディン書房)

    ウルトラシリーズの脚本数点のほか、東京にいた時期に書かれたテレビドラマの脚本、帰郷してからの沖縄芝居やラジオドラマの脚本などがまとめられています。金城哲夫の仕事を総合的に知ることができます。
    沖縄時代の脚本はウチナーグチ(沖縄の言葉)のものがほとんどなので、実際に上演や放送がされた内容を知ることができます。

     

  • 「金城哲夫の世界」実行委員会 編「金城哲夫の世界 映画・沖縄芝居・ラジオドラマ脚本集
     [沖縄編]」(パナリ本舗)

    映画『吉屋チルー物語』、沖縄芝居、ラジオドラマなどの脚本を収録しています。掲載されている脚本の多くはヤマトグチ(標準的な日本語)版なので、沖縄県外の方でも読みやすく理解しやすくなっています。

     

  • 金城哲夫研究会「金城哲夫研究」 通巻1~8号(続刊中)

    金城哲夫研究会の機関誌です。さまざまな評論記事や調査報告が掲載されています。沖縄県立図書館などで閲覧できます。

     

  • DVD「金城哲夫 西へ! 沖縄の流星が生んだウルトラ伝説」

    金城哲夫の生涯を映像化したDVDです。今では入手が難しい写真や動画が収録されており、金城哲夫の活動をより身近に感じることができます。

     

  • 南風原町観光協会 編「金城哲夫の原点を語る」

    2014年に南風原町で開催された「金城哲夫生誕75周年祭」の報告集パンフレットです。トークショーの内容も文章化されており、貴重な証言集となっています。(トークショー第一部=桜井浩子さん&与座重理久さん、トークショー第ニ部=中野稔さん&森口豁さん&上原正三さん)

    [先着300名様限定で本冊子を進呈しておりましたが、規定人数に達したため進呈は終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。]

     
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金城哲夫脚本賞

金城哲夫年表

金城哲夫 年表

1938年
  • 7月5日、東京にて出生。中学までは実家のある沖縄で過ごす。
1955年 17歳
  • 中学卒業と同時に上京し、玉川学園高等部入学。
    学生時代から特撮の神様といわれた円谷英二特技監督の主催する円谷特技研究所に参加。
    東宝の特撮映画等の脚本で知られる関沢新一氏に師事する。
1961年 23歳
  • 玉川大学卒業。
1962年 24歳
  • TBSのドラマ『純愛』シリーズ「絆」(監督・円谷一)でシナリオ作家デビューをする。
    一旦帰沖し、沖縄の役者を使って映画『吉屋チルー物語』を自主制作(脚本・監督)する。

<放送作品> テレビドラマ『純愛シリーズ』「絆」(脚本)…東京放送

1963年 25歳
  • 4月に正式発足した円谷プロダクションの企画文芸室長となり同プロに在籍しながら、ドラマ『沖縄物語』の パイロット版製作のため帰沖する。

<放送作品>テレビシリーズ『沖縄物語』三部作の製作(灘千造氏と共同、未放送)
<上映作品>自主映画『吉屋チルー物語』(製作・脚本・監督)…沖縄映画制作所

1964年 26歳
  • 『いまに見ておれ』の共同脚本などの仕事を手がける。(ここで金城は関沢氏の次に脚本の師と仰ぐ生田直親氏と出会い、出演者の青島幸男氏とも懇意になる)
  • フジテレビ・円谷プロ共同制作の『WoO』の企画立案に参加。同作品は諸事情で頓挫するも、同年にTBS・円谷プロ制作の『アンバランス』(後の『ウルトラQ』)に円谷プロ側の企画者として参加。脚本も数本手がける。

<放送作品>
テレビドラマ『月曜日の男』「ペン先のレクイエム(鎮魂歌)」(脚本)…東京放送
テレビドラマ『こんなに愛して』(生田直親氏と共同脚本)…東京放送
テレビ映画『いまに見ておれ』シリーズ(脚本)…東京放送、国際放映

1966年 28歳

1月に『ウルトラQ』放映後、『ウルトラマン』の企画・脚本、『快獣ブースカ』の構成・脚本、松竹版『泣いてたまるか』の脚本他、シートドラマの脚本を担当、当時のバラエティ番組にもゲスト出演した。

<放送作品>
テレビ映画『ウルトラQ』(脚本)…東京放送、円谷プロ
テレビ映画『ウルトラマン』(脚本)…東京放送、円谷プロ

1967年 29歳

<放送作品>
テレビ映画『泣いてたまるか』「翼あれば」(脚本)…東京放送、松竹テレビ部
テレビ映画『快獣ブースカ』(脚本)…日本テレビ、円谷プロ、東宝
テレビ映画『ウルトラセブン』(脚本)…東京放送、円谷プロ

1968年 30歳

<放送作品>
テレビ映画『マイティジャック』「爆破指令」(脚本)…フジテレビ、円谷プロ
テレビ映画『戦え!マイティジャック』(脚本)…フジテレビ、円谷プロ
テレビ映画『怪奇大作戦』(脚本、主題歌作詞)…東京放送、円谷プロ

1969年 31歳
  • 円谷プロを退社して、故郷に戻った金城哲夫は、実家の鋤焼き料亭を手伝いながら若き尚巴志を主人公にした『佐敷の暴れん坊』をはじめとした数本の沖縄芝居の脚本を執筆した。また、琉球放送(RBC)にて、ラジオやテレビ番組の構成も担当し同時にキャスターとしても活躍した。

<上演作品> 沖縄芝居『佐敷の暴れん坊』(脚本、演出)…那覇劇場(初演)

1970年 32歳

<放送作品> テレビ映画『帰ってきたウルトラマン』「毒ガス怪獣出現」(脚本)…東京放送、円谷プロ

1971年 33歳

<上演作品> 沖縄芝居『一人豊見城』(脚本、演出)…那覇市民会館(初演)

1972年 34歳

<上演作品> 沖縄芝居『泊気質ハーリー異聞』(脚本、演出)…琉球新報ホール(初演)
<上演作品> 沖縄芝居『風雲!琉球処分前夜』(脚本、演出)…琉球新報ホール(初演)

1973年 35歳
  • 沖縄のラジオ番組の司会に多数出演の他ラジオドラマの脚本も手掛ける。 また、東宝映画用のシノプシスを共同執筆した(実現せず)。
1974年 36歳
  • テレビドラマ『走れ!ケー100』(C.A.L製作)「沖縄の巻三部作」の現地コーディネーターおよび出演した。

<上演作品> 沖縄芝居『虎!北へ走る』(脚本、演出)…琉球新報ホール(初演)

1975年 37歳
  • 東宝より依頼を受けて、沖縄国際海洋博覧会の式典の演出や沖縄館で上映される映画にも携わり、広報としてテレビ番組「11PM」などへも出演した。

<上演作品> 沖縄芝居『王女(うみないび)の恋』(脚本)…那覇市民会館(初演)
<上映作品> 沖縄海洋博・沖縄館映画『かりゆしの島沖縄』(監督/吉田憲二、脚本/助監督・金城)

1976年
  • 2月26日、不慮の事故にて37歳の若さで他界。内地でも当時の新聞やテレビ雑誌にて報じられ、日本中のファンから、その早過ぎる死が惜しまれた。
2006年

<放送作品>ハイビジョンテレビ映画『生物彗星WoO』(円谷英二と共同にての原案)…NHK、円谷プロ

 

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金城哲夫脚本賞

金城哲夫について

金城哲夫について

金城哲夫は沖縄県南風原町出身の脚本家です。ウルトラマンシリーズの企画や脚本で有名です。沖縄芝居の脚本、テレビ・ラジオの司会、沖縄国際海洋博覧会セレモニーの企画・演出などでも活躍しました。

南風原町で育ち、東京で番組制作に関わる

幼少時~高校・大学時代

1938年生まれ。生地は東京ですが、生後すぐ親とともに帰郷して、沖縄県の南風原町で子供時代を過ごします。6歳のときに沖縄戦を体験しました。
中学卒業後に上京し、高校・大学は玉川学園で学びます。高校生の時に「日金友好協会」なる金星の研究をするSFクラブを結成しました。「玉川学園沖縄慰問隊」を友人たちと組織して総勢17名の高校生でアメリカ統治時代の沖縄を訪問したこともあります。この当時からリーダーシップと行動力を発揮していました。

円谷英二との出会い。映画『吉屋チルー物語』の制作

大学3年生のころ「特撮の神様」と呼ばれた円谷英二との出会いがあり、円谷氏の主催する研究所に参加しました。1961年ごろからテレビ番組の脚本づくり・企画づくりに関わり始めました。
その後一時的に沖縄に戻り、沖縄の役者を使った映画『吉屋チルー物語』を自主制作し、1963年に完成させます。
1963年4月、設立されたばかりの円谷プロに入社しました。

ウルトラマンシリーズが大ヒット

円谷プロの企画文芸室長になった金城は、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』などの番組で、さまざまなスタッフの意見・アイデアを取り入れながらも、企画書のほとんどをまとめあげました。
テーマ、物語の方向性、ウルトラマン・怪獣・登場人物の設定など、金城が創りあげた路線にしたがってウルトラシリーズが制作されました。 円谷英二の「ヒーローを宇宙人にしたい」という意見をはじめ、「もっと怪獣を増やしたら」「こんな宇宙人を出してみたい」といった様々なスタッフの意見を活かしながら、金城は次々と夢のあふれる物語を仕上げていきました。

 

監督・脚本家・デザイナーなどのまとめ役に

円谷プロの企画文芸室の長として、ウルトラマンシリーズ制作の中核メンバーとして活動しました。円谷英二監督やTBSのプロデューサーからもなくてはならない人物として信頼を集めていました。
シリーズの企画概要を多くの脚本家に説明してプロット(物語の梗概)を寄せてもらい、それをもとにどんなエピソードを実際に制作していくかを考えるシリーズ構成者としての役割を担い、自身でも脚本を書きました。
毎回登場する怪獣についての特徴、ネーミングなどについても積極的にアイデアを出し、時には怪獣のデザインにも自身や脚本家たちのアイデアを伝えるパイプ役を務め、バラエティに富むウルトラマンシリーズの魅力の構築に尽力しました。

魅力あふれる脚本を数多く書き上げました

たくさんのスタッフと打ち合わせして指示を出す忙しい日々の中で、金城自身も多くの脚本を書き上げました。
「地球をあなたにあげます」と言わせようとするメフィラス星人と、それを拒否するサトル少年の会話劇が印象的な『ウルトラマン』第33話『禁じられた言葉』
今の人類が、じつは過去に先住民を追い出して地球を征服した侵略者だったのかもしれないというスケールの大きなSFドラマである『ウルトラセブン』第42話『ノンマルトの使者』
そのほかにも、名作と呼ばれ現在でも人気の高い脚本の多くを金城が手がけています。
金城たちの作品は「怪獣ブーム」「ウルトラブーム」と呼ばれる社会現象をまき起こしました。シリーズ放映時間には、テレビを見るため銭湯から子供たちの姿が消えるとまで言われました。
初期ウルトラシリーズの監督の一人であった実相寺昭雄氏は、沖縄出身の金城が番組制作の中心的役割を果たしたことを讃えて「ウルトラマン。本籍地、沖縄。やはり、私は、こう記入したい」という言葉をエッセイ集の中に残しています。

沖縄へ帰郷。沖縄芝居やテレビ・ラジオなどで活躍

沖縄へ帰郷

『ウルトラセブン』の終了後、円谷プロでは『マイティジャック』『怪奇大作戦』など番組の視聴率は低下、円谷プロ経営の悪化と問題が起きました。
1967年、大城立裕氏が『カクテル・パーティー』で芥川賞を受賞したことに感化された金城は、沖縄を題材にした小説を書きたいと、思いがつのるようになりました。また「本土復帰を沖縄の地で迎えたい」という願いもあって、1969年に円谷プロを退社しました。

 

沖縄芝居やテレビ・ラジオなどで活躍

沖縄へ帰郷後、ふるさとの文化や歴史を猛勉強し、沖縄芝居の劇団の座付作者になり、実家のすきやき料亭を手伝いながら、脚本執筆にはげみました。
琉球王朝を築いた若き尚巴志を描いた『佐敷の暴れん坊』等を執筆し、本土の演劇要素を取り入れた新しいスタイルの沖縄芝居として役者たちにも影響を与えました。

琉球放送(RBC)にて金城は、ラジオドラマの執筆、ラジオの『トヨタモーニングパトロール』のキャスターやテレビ番組の司会者等もつとめました。

沖縄国際海洋博覧会のセレモニーに関わる

1975~1976年に開催された沖縄国際海洋博覧会のセレモニーの企画・演出も担当しました。金城が考えた演出は、世界七つの海から汲んできた海水を博覧会会場に設置された一つの入れ物に注ぐという内容でした。
沖縄から世界へ発信する海洋博覧会セレモニーの舞台で、人類は海で一つにつながっているというメッセージを打ち出しました。

 

希望に向かって燃焼し続けた金城哲夫

平和を願い、沖縄国際海洋博覧会の演出に熱を入れる等、金城は仕事に奮闘していました。
また、「沖縄を題材にした物語を書きたい」という希望も強く、構想をノートにつづっていましたが、過度の飲酒で体調に影響をきたし、葛藤と悩みが激しくなっていきました。体調悪化の最中も、金城は執筆の手をゆるめず、書き続けていました。
1976年2月23日、酔った状態で2階の書斎へ窓から入ろうとし転落、3日後の26日に脳挫傷のため37歳でこの世を去りました。
金城哲夫は、誰も思いつかないような斬新な発想、豊かなSF的素養、人情やユーモアを取り入れた物語で、日本中の人々の心をつかむ作品を数多く残した人でした。

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金城哲夫脚本賞

関係者からのメッセージ

関係者からのメッセージ

主催・共催・後援・協力団体からのメッセージ

第2、第3の金城哲夫の誕生を期待します
南風原町観光協会 会長 照屋盛夫

私たち南風原町観光協会は、脚本家「故・金城哲夫」氏を南風原町の偉人として称え、未来を担う子共達が先人の偉大なる功績を知ることで、沖縄や南風原町(郷土 ふるさと)に対する愛着や誇りを育み、新たな光を与えるものになると「金城哲夫」氏を中心にまちづくりに取り組んできました。
そこで、第2、第3の金城哲夫が誕生することを期待し、氏のふるさと南風原町から新たな人材や作品を発信してくため、『金城哲夫のふるさと沖縄・南風原町脚本賞』を全国公募で行います!また、選考された脚本は、将来舞台化等のさまざまな取り組みを行なっていくことで、次世代に繋げることができれば、いまだ超えることができていない「金城哲夫」をいつの日かこえる脚本家が現れることを楽しみにしております。

 

金城哲夫氏の脚本賞開催を誇らしく思います
南風原町 町長 城間俊安

この度は「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」の開催、誠におめでとうございます。
また、本町の魅力が存分に発信されるよう本脚本賞の企画・運営あたる町観光協会、円谷プロダクション様に対し、心より感謝申しあげます。
さて、本町の偉人であります金城哲夫氏の名を冠した脚本賞が開催されることは、本町としても大変喜ばしく、また誇らしく思います。
応募される皆様におかれましては、この機会に是非とも金城哲夫氏のことを深く知っていただき、その上で金城哲夫氏を超える才知溢れる作品が生まれてくることを期待しております。

 

新しい才能に出会えることを期待しております
株式会社円谷プロダクション 代表取締役社長 大岡新一

円谷プロ初代企画文芸室長・金城哲夫さんの類稀なる発想力で構想された「ウルトラQ」「ウルトラマン」の放送から、今年で50年を迎えました。金城さんの“発明”ともいうべき<構成と脚本>は、シリーズの礎であり要と考えております。氏の功績を称えた脚本賞を、故郷・沖縄県南風原町と弊社とで同時に創設します。南風原町主催「南風原町・脚本賞」は沖縄がテーマの舞台劇を課題にされ、沖縄の文化や魅力の継承のためにも意義深いものです。弊社主催「金城哲夫賞」は映像作品を課題とし、「ウルトラマン」を生んだ創造力を超えるような才能を発掘して日本映像文化の未来のため邁進いたします。新しい才能に出会えることを期待しております。

 

審査員からのメッセージ

多くのクリエイターに勇気を与え続ける金城の夢
映画監督 真喜屋力

金城哲夫が「ウルトラマン」を作り出したという事実を知った時、僕は沖縄の人間として誇りに感じました。でも、それ以上に金城哲夫が多くの栄光と決別し、生まれ故郷の南風原町から、新たな物語を紡ぎ出そうとして、もがき苦しんでいたと知った時に、心が震えました。彼のそんな夢は、今では多くのクリエイターに共有され、勇気を与え続けているのではないでしょうか。金城哲夫の意志を継ぐような新たな創作や人材が、この企画から世界に羽ばたいていくことを期待しつつ、今年も審査を楽しみたいと思います。

 

現代の喜怒哀楽を豊かに孕んだ作品を期待
舞台演出家 富田めぐみ

金城哲夫の存在を知ったのは大人になってからのこと。子どもの頃に熱狂したウルトラマンの脚本家のひとりが沖縄出身と聞いて驚き嬉しかった。彼の作品は、ドラマチックな展開でエンターテイメントに徹しながら、根底にとても大切なメッセージを感じる。友情、寛容、自然への畏怖・・・また、沖縄人の悲哀をさりげなく込めていたという見方もある。あなたの伝えたいことは何ですか?現代の喜怒哀楽を豊かに孕んだ作品を期待!

 

沖縄から生まれる脚本との出会いにワクワクしています
国立劇場おきなわ 芸術監督 嘉数道彦

沖縄芝居ファンだった私が、少年時代、半信半疑で、新作の沖縄芝居の舞台へ足を運び、鑑賞した演目は、「一人豊見城」(作・金城哲夫)。従来のスタイルとは異なった斬新な芝居の中、沖縄独自の人情や明るさ、たくましさが散りばめられた舞台に、新しい作品が沖縄芝居として呼吸していること、新作を新作と感じさせない名作に、大変感銘を受けました。
御縁があり、今回新たな脚本の数々と出会う機会に恵まれました。現在だからこそ誕生する作品、今日ここ沖縄から生まれる脚本との出会いに、私自身、とてもワクワクしています。

 

右脳カラータイマーを止めることなくペンをとって
黄金森劇団 新垣敏

白黒テレビが普及し始めたドル時代、怪獣と戦うウルトラマンに興奮し星空を眺めてはM78星雲がどこにあるのか想像した昭和世代の一人として哲夫氏の血潮に思いをはせながら、迷走の中に埋もれそうになっている沖縄を
元気にしてくれる多くのライターからの応募を待っています。いつも葛藤や屈辱さいなまれてきたオキナワ、再生爆発する生命力と、明るい夢と希望を秘めたクンチグワーアイランドのために、ペンをとって下さい、右脳カラータイマーを止めることなく。

 

「今を生きる」皆さんに紡げる物語あるはず
黄金森劇団 親泊賢次

半世紀も前に、故・金城哲夫氏は円谷プロで魅力的な作品を執筆し続け、ユニークな発想と企画力を持つ彼は脚本制作の中心的存在であり全体を束ねる手腕を発揮していました。
「大切な物を守るために。」SF的要素や特撮を用いた表現の向こう側に当時の現実世界をしっかりと見据えながら...。絶えず変遷する世界で「今を生きる」皆さんだけに紡げる物語があるはずです。御健闘をお祈りしています。

 

関係者からのメッセージ

金城哲夫さんと私
監督・脚本家 飯島敏宏(千束北男)

金城哲夫さんと私は、50年ほど前、テレビで出会い、ともに脚本修行をした仲間です。「ウルトラQ」「ウルトラマン」では、円谷プロの企画文芸室長として全ての脚本に関与、私の筆名千束北男の命名者であり、合作もした間柄です。空想科学作品のみか、「純愛シリーズ」「泣いてたまるか」など、シリアスドラマ、喜劇、さらに沖縄芝居にも作品を遺す作家でした。

 

「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」によせて
脚本家 上原正三

直木賞を取るために帰郷した金城哲夫が題材に選んだのは南米移民だ。母のツル子さんはペルーからの帰国子女であった。南風原町は移民が多いと語っていた。金城は異国に渡った移民たちの生き様を書こうとしていた。それはとりもなおさず母への思いであり、海を渡った南風原の人々への畏敬の念でもあったと思う。ウージ畑で空を見上げながら異国で暮らす人々の喜怒哀楽を想像したであろう。そんな思いの詰まった小説を読みたかった。

 

いまだに全国からファンの方が見学に来られます
松風苑 支配人 金城和夫

兄が亡くなってから40年もの長い年月が経ちましたが、いまだに、全国からファンの方が書斎の見学に来られます。50代の方が数多く訪ねて来られ、兄の作品から、ともて大きな影響を受けましたと話されて、合掌されたり、涙ぐんだりする方もおられ、案内する私がびっくりする事があります。今年2月に、劇団民藝で「光の国から僕らのために」金城哲夫伝の公演が10日間東京で上演され、素晴らしい演出で感激しました。
是非、沖縄で再演をとお願いしている所です。

 

金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞
女優・コーディネーター 桜井浩子

本年2016年は「ウルトラQ」「ウルトラマン」の放送から50年を経た節目の年であります。
この記念すべき年に、ウルトラマンシリーズの創世期の立役者の一人、
我らが金城哲夫さんの賞が、設立される!とのこと。
しかも、金城さんの故郷、南風原町にて!何と素敵な事でしょう!
金城さんのような才能を、若い皆さんが大切に育みながら、次世代に繋いでいって下さることを心よりお祈り申し上げます。

 

金城を継ぐ才能が発掘されることを切望する
金城哲夫研究会 代表 佐藤文彦

40年前、宇宙の彼方へ旅立つように昇天した脚本家の金城哲夫。沖縄出身ながら東京の円谷プロの企画文藝室長というポストにあった金城は、『ウルトラマン』をはじめ、多くのファンタジー作品をつくった。これらの作品が50年を経過しても色褪せず現代の子供達も熱狂させるのは、未来を見つめつつ作ってきた金城をはじめとした当時のスタッフやキャストたちの先見性があったからに違いない。
その後沖縄に戻った金城は、琉球時代を題材にした舞台やラジオドラマを数多く手掛け、今度は沖縄から本土や世界への発信を試みた。
「金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞」では、金城を継ぐ才能が多く発掘されることを切望する。

 

沖縄の元気力
ジャーナリスト 森口豁

沖縄は今、大変元気が良い。
「オール沖縄」に象徴される新基地建設への抗いは、文字通り「島ぐるみ」だ。 諸悪の根源である軍事基地が無くならない限り、この「元気」は元気であり続けるだろう。
《うちなーんちゅ うしぇーてぃないびらんどー》
翁長雄志県知事が発したこの言葉は、ヤマトからの差別に立ち向かう沖縄人の魂の警鐘だ。
そして「元気」のもう一つは、文化に関して。沖縄島からは、いま多くのアーティストや表現者たちが自己表現の発信に忙しい。音楽、演劇、絵画に写真・映像から小説や詩歌の世界まで…。「沖縄人であることを」を隠して生きた、あの鬱屈した時代からの大反転である。時空をこえて羽ばたく「琉球」の、なんと眩しいことか。
金城哲夫脚本賞が、その琉球文化の土壌を耕し続ける者たちの精神の支えとなるであろうことを、僕は信じて疑わない。

 
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金城哲夫脚本賞

募集要項

金城哲夫のふるさと 沖縄・南風原町脚本賞募集要項

1.主旨

南風原町は、脚本家、故・金城哲夫氏にゆかりある町です。金城哲夫氏は「ウルトラシリーズ」をはじめとした特撮作品の脚本や、人々の悲喜交々を描いたドラマ脚本、郷土の歴史・伝統文化を題材にした沖縄芝居脚本などの作品を手掛けてきました。数多くの遺された作品には、「人と怪獣などの種族を越えた友愛」「世界の抱える諸問題を投影した物語」「沖縄の持つ文化の発信」といったメッセージを受け取ることが出来、今なお多くの人々を惹きつける魅力を放ちます。そのメッセージを当観光協会より発信することで、子供たちの未来に新しい一筋の光を与えることができます。
また、その脚本の舞台化や各種の表現をすることで、南風原町の宣伝・広報、豊かな町民性の周知を図るとともに、町の活性化、観光地としての定着に繋げていくものとします。

2.応募資格

○プロ・アマチュア/年齢、性別、国籍、居住地問わず応募できます。

3.応募条件

  • 応募作品数は1人1点とします。
    ※共同執筆可。代表者を1名選出すること。
  • 応募作品は公序良俗に反しないものに限ります。
  • 他の賞への応募歴がある作品は応募出来ません。
  • 同作品の他の賞との重複応募は不可です。
  • 他の戯曲・小説・映画などの一部を使用する場合は、作品名を明記し、著作権処理が必要な場合は、応募者の責任で行なって下さい。
  • 各賞に選ばれた場合、表彰式に参加して頂きます。

4.募集内容

  • 日本語又はウチナー口による『沖縄を題材』としたオリジナル作品。時代背景・フィクション・ノンフィクションは問いません。
  • ジャンルは台詞劇とし、一般が広く上演できるものとします。

5.応募方法

  • 400字詰原稿用紙60枚~100枚(作品の長さ:60分~90分程度)。ワープロ・パソコン原稿の場合は、20字×20行で片面印刷、A4サイズを横にし、タテ書きで印字する事。
    ※ページ番号をふってください。
  • 表紙にタイトル・氏名およびフリガナ(ペンネームの場合も本名を併記)・郵便番号・住所・年齢・性別・職業・電話番号を明記してください。
    ※共同執筆の場合は、代表者並びに共同執筆者の氏名を記載してください。
    ※応募に際し得た情報は、本事業に関する事務以外は使用致しません。
  • 2枚目には、タイトルのみを記載してください。
  • 3枚目には、登場人物表を付記してください。
  • 4枚目から、800字程度のあらすじをつけてください。
  • 原稿は、右肩綴じとしダブルクリップ、紐等で綴じて下さい。
  • 応募作品は、書留郵便または宅配便で郵送するか、直接持参して下さい。Eメールでの応募は出来ません。

6.お問い合わせ・送付先

〒901-1112
沖縄県島尻郡南風原町本部158番地
一般社団法人南風原町観光協会
TEL:098-851-7273
FAX:098-851-7109
H P:http://www.haebaru-kankou.jp/

7.賞の内容

大賞 50万円(1点)
佳作 10万円(2点)

8.応募受付期間

2016年7月7日(木)~10月31日(月)(当日消印有効)

9.発表

2017年1月末 ※表彰式は、2月末を予定しております。

10.審査員

真喜屋力(映画監督)
富田めぐみ(舞台演出家)
嘉数道彦(国立劇場おきなわ 芸術監督)
新垣敏(黄金森劇団)
親泊賢次(黄金森劇団)(※順不同)

11.主催

一般社団法人南風原町観光協会

12.共催

南風原町、南風原町教育委員会、南風原町商工会

13.後援

沖縄県、一般財団法人沖縄観光コンベンションビューロー、公益財団法人沖縄県文化振興会、株式会社沖縄タイムス社、株式会社琉球新報社、琉球放送株式会社、沖縄テレビ放送株式会社、日本放送協会沖縄放送局、琉球朝日放送株式会社、株式会社ラジオ沖縄、株式会社エフエム沖縄、沖縄ケーブルネットワーク株式会社(※順不同)

14.協力

株式会社円谷プロダクション

15.著作権

受賞作品の著作権及び上演権は、主催者に帰属します。
尚、作品を発表するにあたり、脚色を加える可能性があります。ご了承ください。

16.注意事項

  • 選考及び結果に関わる問い合わせについては返答しません。
  • 要項に従わない作品については選考の対象外とします。
  • 応募提出物は返却しません。