沖縄陸軍病院の実相を読む

2024年8月24日 カテゴリ:新着情報

9月にまち歩きツアーを開催

 沖縄戦についてはさまざまな視点から数多くの書籍が出版されていますが、沖縄陸軍病院南風原壕はたびたび取り上げられてきたテーマの一つです。社会の歪みは弱者に集約されるといわれるように、陸軍病院は壮絶な沖縄戦の縮図と化しました。重傷を負った兵士が次々と運び込まれて院内にあふれかえり、食料や医薬品、医療器具が絶対的に不足する中、軍医や看護婦、看護補助要員(ひめゆり学徒隊)は治療の現場で奔走します。沖縄戦を学ぶ上では避けては通れない「歴史」であり、その実相に触れておきたいところです。当協会では9月にガイド研修やまち歩きツアーで沖縄陸軍病院南風原壕を訪れますが、これを機会に関連する書籍の中から主なものをいくつかご紹介しましょう。

 長田紀春・具志八重編『閃光の中で ―沖縄陸軍病院の証言―』(1992年 ニライ社)は、サブタイトルにもあるように陸軍病院の勤務経験者による証言集です。全301ページです。看護婦たちが壮絶な治療現場を語ります。

 「一番辛かったのは両手両足がなく、スイカになった兵の姿を見ることであった。前線から担架や背負われて担ぎ込まれる血だらけの負傷兵の姿は凄惨の度を極めていた。上衣の袖ごと上肢がちぎれた人、両足のない人、『看護婦さんいたいよう』『殺してくれ』の泣き声やうめき声が終日聞こえ、まるで地獄のようだった。二段ベッドの床隅には毎日のように手術で切り落とされた上肢や下肢が10本以上も置かれていた。女師、一高女の学徒(県立女子師範学校と県立第一高等女学校の生徒、ひめゆり学徒隊)も、初めは恐怖のあまり卒倒するものもいたが、後からは『この大根はどこへ捨てましょうか』と言うようになっていた」

1945(昭和20)年5月下旬、南部への撤退命令が出されると、自力で歩けない患者に対して青酸カリを配布し(ミルクに溶かして服用)「自決」を迫ります。重傷を負って治療中だった衛生兵は次のように振り返ります。

「背の高い軍医中尉が来られて、『これから病院は南部へ移動することになったが、独歩患者のみしかつれて行けない。担送患者も護送患者もそのまま残ってもらわねばならなくなった。それでこの薬を飲んで名誉の戦死をした方がよいか、捕虜になった方がよいか、よく考えて自分で決めるように』と言われて、ミルクのようなものが入った湯呑みが配られました。湯呑みを投げ捨てる者もいましたが、重傷の人でどうしても無理だと思った人は飲んでいる様子でした」

上官の命令に背いて青酸カリ入りミルクの配布をしなかった衛生兵や、ミルクを飲むことを拒否した重傷患者がいる一方、別の資料によれば、強制的にミルクを飲ませた軍関係者グループがいたとする証言もあります。当時、軍医見習士官だった長田紀春氏は次のように説明します。

 「陸軍病院が大量の青酸カリを前々から用意していたことは、軍医部等の上層部の命令で、最悪の場合をかねてから考慮してのことであろうが、やはり個々の患者の苦痛を少なくするというよりも、軍の体面や秘密の保持を考え、玉砕精神を励ますのが目的だったと言っていいだろう」

 どれくらいの人たちが自決したのでしょうか。長田氏は南風原の第一外科だけでも「歩ける患者を除くと約400名位の数の重傷者がいたと推測されるし、その患者が青酸カリによる自決に追い込まれたと思われる」と見ています。自決を決意するのは患者だけではありません。同年6月中旬に病院解散命令が下されると、本島南部では青酸カリを服用して自殺しようとする衛生兵や、手りゅう弾で自決しようとした看護婦も現れました。

 ひめゆり平和祈念資料館が出版した『沖縄陸軍病院看護婦たちの沖縄戦』(2005年)は、2005年に開催された同名の企画展の内容を1冊にまとめています。展示と同じく時系列に沿って「1 1945。5 沖縄陸軍病院のあゆみ」「2 1944.11~ 沖縄陸軍病院への召集」「3 1945.3 南風原にて」「4 1945.5 南部撤退」「5 1945.5.26 撤退後の南部」「6 1945。6.18 陸軍病院解散と死の彷徨」の6部からなります。全47ページ、解説文や証言文は簡潔にまとめられ写真や図が多いので、気軽に手にとりやすい構成です。

 南風原文化センターが発行した『沖縄陸軍病院南風原壕群』(2007年)は全26ページとコンパクトにまとめられ比較的短い時間のうちに沖縄陸軍病院の概要をつかめます。同書によれば、病院壕は黄金森の中央部につくられた本部壕、23本ほどの壕からなる第一外科、7本の壕からなる第二外科、3本の患者壕があった第三外科で構成されたと思われます。現在公開されているのは、第二外科の中心であり手術場も設けられた20号壕です。

 『沖縄陸軍病院南風原壕』(2010年 高文研)は吉浜忍氏や池田榮史氏ら専門家の手によってまとめられました。沖縄陸軍病院の変遷だけでなく、沖縄戦の概略・経緯に加え、南風原町内(当時は村)の戦災状況にも触れています。本書で特徴的なのは、高校生ら若者による町内の字別戦災調査や、病院壕の文化財指定・保存活用の取り組みなど、沖縄戦の記憶や記録をいかに次世代に引き継ぐかに多くの紙面を割いている点です。20号壕を整備しガイド養成講座を実施して公開にこぎつけた経緯もたどっています。全172ページです。

 池田榮史著『沖縄戦の発掘 沖縄陸軍病院南風原壕群』(2019年 新泉社)は、南風原壕群を考古学的視点から捉え、写真や図を交えながら各壕の調査や保存の状況を解説しています。