上原 正三

金城哲夫アーカイブ

上原 正三

プロフィール

那覇市出身。金城哲夫とともに円谷プロ企画文芸室に所属した。数々の特撮番組・アニメ・ドラマで脚本を担当。

発言内容

─ 円谷プロとの経緯

彼は僕を連れて行ってそういう、仕上げを手伝って貰いたいと連れては来たけど、後で知ったんだけと、実はそうではなくて、円谷英二監督、その長男の円谷一さんてのがTBSの映画部にいて、その人に僕を紹介したかったみたい。
ただの無名のねライターが書いたものを紹介するというのはあまり通用しない。
通用するためにはなんか賞をとっていらっしゃいと言われましたね。
ということは僕はその場で、これはもう遠回しに断られたなと思いましたね。
それは無理もないなと、沖縄出身の同じ年代の中ではさ、金城に付いてここまで付いてさ、やれるわけないんで。あ、じゃ分かりましたって、僕はじゃあ賞をとって来ますねと言って帰ったんです。
その翌年が東京オリンピックで、その時に書いたシナリオがたまたま佳作入選したんで、その授賞式に(昭和)40年の1月に行ったら、まあ、円谷プロ手伝ってよって、ウルトラQをやってたんですね。

─ 円谷プロでの金城の役割は?

彼は企画室長として、企画、それから脚本の制作一切を取り仕切っていましたね。金城がいなければウルトラQの脚本もうまく回らなかっただろうし次のウルトラマンも、企画は立ち上がらなかったと思いますよ。

─ 当時の金城は?

だから金城というのは普通の怪獣ものをね書くに当たっても他のライター、シナリオライター、色々高名な人いっぱいいたんだけど、ストーリーがまず、テーマがあってストーリーを組み立ててその中に、どんな怪獣を登場させるかっていう風になるんだけど、金城は逆で、まず怪獣ありきなんですよ。この怪獣をどういう風に動かせば面白くなるかっていう、これはね誰も真似できない。
そこが変わっているというか、やっぱり異色というかね、異才ですね。
それで出来たものは面白いんだからね。

─ 上原さんから見た金城は?

個性的なウチナーンチュじゃないかな。
なんて言うんだろう、金城の中にね、お父さんの忠榮さんと、お母さんのつるこさんの性格がね、真っ二つに入っているんですよ。
だからお父さんというのはあそこの玄関にある100の馬、あれを見て買って持ってきたらさ、入れる小屋が無くて急遽建てたっていう様なね、なんか豪快な、そのまんまですよね、金城哲夫のウルトラマン発想と。
かと思うと1人1人の文芸部の部長として作家さんにギャラを査定する時に、この人は子供が何人で、今どういう状況にあることまで調べて、脚本のランクをね、さりげに決めているんですよね。そういうね、凄い繊細、両方兼ね備えていましたね。
だから、僕と市川が、ウルトラセブンの後半合作でやるんだけど、1人1本書くと1本2万5千円だけど、共作すると5万円もらえるんで、これはね金城は知っていてね出してくれるんですね。そいつら遊ぶ金が欲しいっていって。そういう男ですよ。