平良 進

金城哲夫アーカイブ

平良 進

プロフィール

沖縄芝居の役者。代表を務めた劇団「潮」で、金城哲夫の作品を多数上演した。

発言内容

─ 金城哲夫との最初の出会いは?

哲夫さんの作品というのはですね、時代劇は一番大事な事なんです。テンポが早い。運びがですよ、台本の運びが。
それで非常にお客さんからもウケたし、それをきっかけに今度はしばらくするとその「潮」という劇団ができた訳ですね。それから哲夫さんにお願いして「うちの作品をずっと書いてくれませんか」ということで「やりましょう」とお互いに、それから書くようになったんですよ。
それで第一回目の作品というのが、「潮」のですよ、これは。「佐敷の暴れん坊」書いてますよね。その次に「虎!北へ走る」これ尚巴志ですから、そういう風にどんどん書いていきました。

─ 劇団「潮」と金城哲夫

まず私が哲夫さんに脚本を依頼するとして、阿麻和利なら阿麻和利、護佐丸なら護佐丸、というふうにしてお願いしますね。すぐオッケーするんですね。
すると、まず書いて持ってくるのは概要を自分で書いて持ってくるんですよ。概要。分厚く、細かく。
その阿麻和利のね。こういう人間が出てくるという事をきっちり書いて、そして流れはこうだという事をきっちり書いてくる訳です。
するとこれ登場人物も出てきますよね。その登場人物を、この概要を見て、当てはめてくれ、と。誰が何をやるという。例えば私が阿麻和利するんだったら、「阿麻和利、平良進」「誰々、何をする」という。そうしたらこの書いてあるものを見て、自分でやっぱりそのイメージが沸くんでしょうね。
それから、この本物の台本を書き始める。これが早い。さっさと書いて。そういう技術はすごかったですよ。

─ 演出も一緒にしていた?

そうですね、それは、やっぱり自分が書いているから、自分のこうやってはいやってという事があるんですよ。
そして若いですからね、あの人も。あの頃はとっても若かったですからね。脚本を書いているだけじゃなくそのものに対して興味もっていますからね。一緒にやりましたね。演出も一緒にやった。ここはああやった方がいい、ここはこうやった方がいいって。

─ 芝居への思い入れ

哲夫さんは、やはりヤマトで書いていらっしゃる時は、テレビドラマというのは長く続きますよね。毎週毎週、何ヶ月も続きますよ。そうなると、ほんと寝る時間もなかったと思いますよ。
哲夫さんもシナリオライターですよね。そのライターもなんか皮肉のような感じで「なんだこの台本は、これはガスライターじゃないか」こういう事も言われた事もあるということでですね。
向こうで書いてるときは、それで「沖縄に帰ってのんびりしたいな」という気持ちになったと思いますよ。それで沖縄に帰ってくると我々と一緒にやって、我々と話していると芝居が楽しく書けるということで、かえって愉快そうでしたよ。

─ 金城と宮城美能留さんと平良さんたちとの関係

海洋博がありましたよね。海洋博の台本を哲夫さんが書きますからね。そういう時に我々が出る場面があったんですよ。うちの団体は「沖縄歌舞団」といってましたから。
美能留先生は舞踊家ではありながら、すごく何か知らんけど、先走ったものの考え方をする人ですからね。それでその話を酒のみながら話しをしてると哲夫さんとも話が上手く噛み合うわけですよね。
不思議な事に、本当に不思議だと僕思うんですよ。美能留先生の門を僕が叩いた時に、あの人は心の底から舞踊を愛し、これでもって自分は世界を制覇するんだという気持ちをもっていましたね、美能留先生は。それをまた実を結んだというのはとっても不思議でたまりませんでしたけどね。
そういう話しを哲夫さんにすると、哲夫さんもそういう人ですから、脚本も書いて、できれば直木賞も取りたいという人ですから、そういう気持ちのあった人ですから、あの人ならとれると思いましたよ。