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10月30日は世界ウチナーンチュの日

 10月30日、世界ウチナーンチュの日をご存じでしょうか。海外に住む沖縄県系人による「ウチナーネットワーク」を継承し発展させたいという願いを込め、2018(平成28)年「第6回世界ウチナーンチュ大会(★1)」の閉会式で制定が宣言されました。まだ歴史が浅い記念日ですが、ウチナーネットワークの基礎となった海外移民は100年を優に超える歴史があります。世界ウチナーンチュの日を機に、南風原出身者をはじめとした沖縄の人々が海外でどのような足跡をたどったか思いをはせてみましょう。

★1 世界ウチナーンチュ大会

1990年の第1回大会以来、5年に一度のペースで開催され、さまざまな交流イベントが企画されてきました。2022年の第7回大会には24か国2地域から約4000人が参加、来場者数の総数は43万人に達したしたとみられます(琉球新報HP 2023年3月29日公開)。

南風原から著名な実業家や天才賭博師

海外最大の日系社会が存在する(★2)といわれるブラジルに最初の移民船・笠戸丸が到着したのは1908(明治41)年です。781人の契約日本人移民が乗船し、うち沖縄県出身者が4割以上を占めました。中でも南風原村出身者は45人と他の市町村に比べ目立っていました(★3)。

その45人には、ブラジルにおける日本人歯科医第1号となった金城山戸(字津嘉山出身)や、天才賭博師として名をはせた「イッパチ」こと儀保蒲太(字津嘉山出身)がいます。山戸は歯科医の家と診療所の片付けの仕事をするうちにポルトガル語や歯科の専門知識を身につけ、イッパチはカードの腕を磨いてブラジルの賭博の世界で花形的存在となり自ら経営する賭博場を開くまでになります。

 また、1937(昭和12)年、9歳で移住した字宮城出身の与那嶺清照はパン屋の見習いなどから始めて菓子会社を設立。さらにパンやビスケット、インスタントラーメンの製造も手がけ、一代でブラジルを代表する食品企業に成長させました。

★2 海外最大の日系社会が存在する

外務省領事局政策課のHPは、ブラジルの日系人が270万人という推計値を紹介しています。

★3 南風原村出身者は45人と他の市町村に比べ目立っていました

南風原村出身者が多かった理由について『南風原町史第8巻移民・出稼ぎ編』は「沖縄移民総代(代表)が城間真次郎(字津嘉山)ということも無関係ではないが、移民会社に勤めていた金城栄礼(後に第6代南風原村長)の影響もあった」としています。

移民の苦悩を描いた『ノロエステ鉄道』

 しかし、華やかな脚光を浴びるのは移民のごく一部です。初期移民は配属されたコーヒー農園では、馬小屋のような労働者小屋をあてがわれ、銃を持った監視員が見張る中、慣れないコーヒー豆採取の仕事に追い立てられます(★4)。しかも、渡航前に聞かされた金額よりずっと少ない賃金しか手にできません。このため農園から逃げ出す者が相次ぎました。彼らは鉄道工夫、港の荷揚げ作業、家庭奉公人など農園とは別の仕事を探す一方、隣国の経済状況がよいと聞けばブラジルを出国する人もいました。『南風原町史第8巻移民・出稼ぎ編』によれば、笠戸丸の沖縄移民325人(★5)のうち半分に相当する162人(南風原出身者は11人)がアルゼンチンへ渡っています。

 このような「名もなき移民」をクローズアップしたのが、大城立裕の短編小説『ノロエステ鉄道』です。笠戸丸でブラジルに到着した沖縄移民の夫婦が主人公です。この夫婦も農園生活に耐えかねて逃亡した後は、ノロエステ鉄道の工事現場で工夫の仕事に就きます。同鉄道は南マットグロッソ州を東西に横断し隣接するサンパウロ州と結ぶために建設が進められ、農園労働に比べ高い賃金を得られます。100人を上回る日本人移民が働き、少なくとも南風原村出身者も5人(笠戸丸移民)が加わったといわれます。

ただ、重労働であり人里離れた場所での工事が多いため、主人公の妻は流産を繰り返し、ようやく授かった子供も医者にみせられず死なせるなどの代償を払います。それでも、蓄えた資金で雑貨店を営みますが、第二次世界大戦が始まると、連合国側についたブラジルでは反日感情がくすぶるようになり、この雑貨店は暴動で焼かれてしまいます。当時の沖縄移民がどのような状況に置かれていたか、この小説を書くにあたって大城立裕がどのような調査をしたか、主人公のモデルとなった夫妻がどのような足跡をたどったか、などについては県立図書館のホームページ「小説『ノロエステ鉄道』とブラジル・カンポグランデの沖縄県系人」(https://www.noroeste-brazil.okinawa/index.html)で詳しく記されているのでご覧ください。

★4 慣れないコーヒー豆採取の仕事に追い立てられます

国会図書館「ブラジル移民の100年」のHPには、「ブラジルでは1888年(明治21)5月に奴隷が解放され、労働力確保のため、ヨーロッパで移民誘致を行った。1892年(明治25)10月には日本人、中国人の移民も可とされ」とあります。ブラジルの農園では奴隷の代わりに移民を導入したため、労働者を「奴隷扱い」する習慣が抜けていなかったという指摘もあります。

★5 笠戸丸の沖縄移民325人

この数字は『ブラジル沖縄県人移民史』による。県移民統計では355人。

故郷を忘れなかった沖縄移民

 地域によって多少経済状況に差はあるものの、一般的に海外移民は決して裕福とは呼べませんでした。そんな中でも、故郷・沖縄への支援を続ける人は少なくありませんでした。『ノロエステ鉄道』のモデルとなった夫婦も苦境の中で沖縄の親類に何度か送金しています。南風原村出身の海外在留者は1933(昭和8)年、総数が709人、送金総額が1万490円、1935(昭和10)年には総数が590人、送金総額が1万6970円になります。これが現在どれほどの価値になるでしょうか。何を基準にするかによって異なりますが、日本銀行のHPに掲載されている企業物価指数では、現在の物価は1936(昭和11)年当時の800倍以上といいます。

 沖縄戦で故郷が甚大な被害を受けたと知ると、世界各地の沖縄移民たちは一致協力して救済活動を繰り広げます。南風原からハワイ・オワフ島への移住者とその家族は1948(昭和23)年、戦争で活動停止していた南風原村人会を再結成し、衣類や食料、寝具類、医薬品、ミシン、学用品など多種多様な救援物資を沖縄へ送りました。救援活動としては、1947(昭和22)年、食料難にあえぐ故郷を助けようとハワイ連合沖縄救済会が5万ドル(★6)の寄付を集めて購入した550頭の豚を送ったことは有名です。船に乗り込み嵐や機雷の恐怖にも負けず豚を沖縄に送り届けた県系人の物語はミュージカル「海から豚がやってきた」にもなりました。この豚のうち8,9頭は南風原村にも分配されました。また、沖縄戦で全壊した南風原小学校の再建のため南風原村が各国の南風原村人会に協力を呼びかけると、ハワイ、ブラジル、ペルー、アルゼンチンなどから多額の寄付が集まりブロック校舎が建設されました。

★6 5万ドル

当時の沖縄の公務員月給が25ドル(「海から豚がやってきた」記念碑建立実行委員会の説明文より)

沖縄移民の足跡をたどる旅

 本記事で触れた内容は、南風原出身者を中心とした沖縄移民の歴史のうちほんの一部にすぎません。もしご興味があれば、ご自身で資料や書籍にあたって知識や関心を深めてみてはいかがでしょう。沖縄移民の足跡をたどる旅になります。なぜ、移民たちは沖縄を離れなければならなかったか。なせ、異国にありながらも沖縄のことを思い支援を続けたのか。彼らの子孫は何を求めて沖縄に来るのか。こうした疑問に対する答えを探すことは、沖縄の重要な歴史を掘り起こすとともに、故郷と自身の関係をもう一度問い直すことになるでしょう。

 国内有数の移民送り出し県である沖縄県では、本記事で紹介した『南風原町史第8巻移民・出稼ぎ編』をはじめ多数の関係書籍が発行され、図書館などで気軽に閲覧することができます。南風原町にある沖縄県立公文書館(★7)では、米軍統治下の琉球政府が推進した計画移民に関する文書や写真に加え、沖縄救援活動に奔走し「ハワイに生きる」などの著作で知られる日系二世の比嘉太郎関連の文書、ハワイ日系社会の発展に尽力した湧川清栄関連の文書などを保存しています。

 南風原文化センター(★8)では、移民に関する展示コーナーがあり、ハワイ、北米、ペルー、ブラジル、アルゼンチン、ボリビアへの移民を紹介しています。第一回ハワイ移民や第一回ブラジル移民、そして現在の各国の南風原町人会の様子を展示しています。

★7 沖縄県立公文書館

南風原町字新川148番地の3 代表電話:098-888-3875 

★8 南風原文化センター

南風原町字喜屋武257番地 電話:098-889-7399

※参考文献

南風原町史編集委員会『南風原町史第8巻移民・出稼ぎ編 ふるさと離れて』(2006年)

県立図書館ホームページ「小説『ノロエステ鉄道』とブラジル・カンポグランデの沖縄県系人」(https://www.noroeste-brazil.okinawa/index.html)

沖縄県立公文書館だより第51号

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好みの模様を選び絣織りに挑戦!

かすりの道歩きや工房見学も

8月24日、「絣コースター織り体験と工房見学のまち歩きツアー」を実施し、5人が参加しました。参加者は琉球かすり会館でまず絣コースター作りに挑戦。自分の好きなデザインを選び織り機の前に座りました。足を使いながら手で糸を通し織り込む作業に最初、戸惑っていましたが、会館スタッフらのアドバイスを受けるうちにコツを飲み込み、次第に浮かび上がるデザインに顔をほころばせていました。完成すると自作の絣コースターの手触りやできばえを味わっていました。

会館を出てガイドから絣の歴史について説明を受けた後、「かすりの道」を散策しました。途中、付近に生える植物を観察したり壁面に描かれた絣の図柄模様に目をとめたりしました。イジュンガー公園では、絣の染料に使われる樹木が植えられていることから、これらがどのように利用されるか学びました。丸正織物工房では、経験を積んだ職人による織りを見学し、作業の具体的な手順や完成した製品の特徴などを教えてもらいました。最後に琉球かすり会館に戻ってアンケートを記入し解散となりました。

アンケートでは以下のような回答が寄せられました。

〇コースの中で良いと思った箇所について

・今まで興味はあったが、なかなか1人では見学に行きにくい所(会館、工房)を体験できてよかった。

・かすり会館での体験もまち歩きも工房も全部よかった。

・工房

・工房での見学が楽しかった。

・かすりについて学べた。

〇ご感想・ご要望について

・工房の方の実演をしながらの説明、伝統を次の世代へつなげていく心構えなどを詳しく聞けてよかった。

・織りを体験することによってその大変さを理解し工房に行き話を聞いたので、絣のすごさが分かりました。伝統を維持・継承していくことは大変ですね。

・作り手が減っている現状をお聞きできてよかった。伝統をつないでいく難しさ、絣の素晴らしさがわかった。

・染色の木が本部の公園に植えられていることを初めて知りました。とてもよかったです。

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与那覇の歴史と伝説をテーマに第2回ガイド研修を開催

 第2回ガイド研修が7月13日、南風原文化センターで開催され12人が参加しました。この日は字与那覇地域ガイドの新垣敏氏が「与那覇の歴史と伝説」をテーマに講師を務めました。まず、与那覇地区が戦後劇的に変化したことについて語り、かつては与那原の浜の波音が聞こえるほど静かだったエピソードを紹介しました。

 また、地元に語り継がれる浦島伝説の主人公、ウサンシー(穏作根子)の屋敷跡といわれる「御殿小」や、ウサンシーが眠ると伝わる「ウサン嶽」などについて写真をまじえながら説明しました。県外の浦島伝説とも比較しながら、与那覇と同じく海のない地域でも浦島伝説が残ることに触れました。このほか、トーマの御嶽、ノロ殿内、与那覇グスクなどの聖地・遺跡や、綱引きといった伝統行事についても詳しく解説しました。

 この日の参加者に対してアンケートを実施したところ、11人から次のような回答を得ました。

  • 本日の講座はいかがでしたか?
    • よく理解できた(8人) ②まあまあ理解できた(2人) ③あまり理解できなかった(1人)
  • 分かりにくかった箇所があれば、教えてください。

・与那覇グスク北方の石畳の説明(存在理由)

・馬場跡の場所

・基礎的な知識(沖縄に関すること、南風原のこと、地域のこと)がまったく足りないことが分かりました。

  • 今回の講座の内容は、実際のガイドに活用できそうですか?
    • 大いに活用できる(8人) ②活用できる(3人) ③あまり活用できない(0人) ④活用できない(0人)
  • その理由を教えてください。

・場所の案内だけでなく、歴史的な人物や森、川(海)、過去と現在とのかかわりの中で、今も御嶽が残っていることを知ったから

・写真もたくさんあったし、前回聞けなかった部分が聞けた

・著名な箇所や人物の様子など参考にできた

・与那覇の地理的側面、考古学的な遺跡、遺物などの事例を詳しく説明されたので、大変興味深く聞くことができました。講師の方の深い知識とユーモアをまじえた話が大変参考になりました

・ウサンシー伝説について理解が深まった

・歴史的背景がよくわかる

・学びたい気持ちが高まったから

  • その他、ご意見、ご感想、質問などがあればご記入ください

・アーカイブ的に過去と現在および、他の地域との比較をしながらの説明は、イメージに残りやすく、与那覇地区の浦島伝説は記憶に残った。ありがとうございました。

・約1時間半、実際に歩いて見て回った感じがした。実際に歩かなくても、現地に行った感じがした。

・講師のプロフィールも紹介してほしい。

・神谷さんの説明がとても分かりやすくて、ありがたいです。ありがとうございました。

・基本的な概説書や参考文献などがあれば教えてください。 第2回ガイド研修が7月13日、南風原文化センターで開催され12人が参加しました。この日は字与那覇地域ガイドの新垣敏氏が「与那覇の歴史と伝説」をテーマに講師を務めました。まず、与那覇地区が戦後劇的に変化したことについて語り、かつては与那原の浜の波音が聞こえるほど静かだったエピソードを紹介しました。

また、地元に語り継がれる浦島伝説の主人公、ウサンシー(穏作根子)の屋敷跡といわれる「御殿小」や、ウサンシーが眠ると伝わる「ウサン嶽」などについて写真をまじえながら説明しました。県外の浦島伝説とも比較しながら、与那覇と同じく海のない地域でも浦島伝説が残ることに触れました。このほか、トーマの御嶽、ノロ殿内、与那覇グスクなどの聖地・遺跡や、綱引きといった伝統行事についても詳しく解説しました。

この日の参加者に対してアンケートを実施したところ、11人から次のような回答を得ました。

  • 本日の講座はいかがでしたか?
    • よく理解できた(8人) ②まあまあ理解できた(2人) ③あまり理解できなかった(1人)
  • 分かりにくかった箇所があれば、教えてください。

・与那覇グスク北方の石畳の説明(存在理由)

・馬場跡の場所

・基礎的な知識(沖縄に関すること、南風原のこと、地域のこと)がまったく足りないことが分かりました。

  • 今回の講座の内容は、実際のガイドに活用できそうですか?
    • 大いに活用できる(8人) ②活用できる(3人) ③あまり活用できない(0人) ④活用できない(0人)
  • その理由を教えてください。

・場所の案内だけでなく、歴史的な人物や森、川(海)、過去と現在とのかかわりの中で、今も御嶽が残っていることを知ったから

・写真もたくさんあったし、前回聞けなかった部分が聞けた

・著名な箇所や人物の様子など参考にできた

・与那覇の地理的側面、考古学的な遺跡、遺物などの事例を詳しく説明されたので、大変興味深く聞くことができました。講師の方の深い知識とユーモアをまじえた話が大変参考になりました

・ウサンシー伝説について理解が深まった

・歴史的背景がよくわかる

・学びたい気持ちが高まったから

  • その他、ご意見、ご感想、質問などがあればご記入ください

・アーカイブ的に過去と現在および、他の地域との比較をしながらの説明は、イメージに残りやすく、与那覇地区の浦島伝説は記憶に残った。ありがとうございました。

・約1時間半、実際に歩いて見て回った感じがした。実際に歩かなくても、現地に行った感じがした。

・講師のプロフィールも紹介してほしい。

・神谷さんの説明がとても分かりやすくて、ありがたいです。ありがとうございました。

・基本的な概説書や参考文献などがあれば教えてください。

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県外のみなさん、地元ガイドと歩くディープな沖縄を ! 

 もう何度も沖縄へ来ているみなさん! 首里城、牧志公設市場、美ら海水族館といった有名観光地はすでに訪れましたよね。もっとゆったりとした気分で普段着の沖縄に触れてみたいと思っていませんか。そんなみなさんにお勧めしたいのが、南風原町観光協会の「まち歩きガイドツアー」です。生粋の地元出身ガイドとともに細い路地裏を歩きながら、地域の歴史や信仰、生活習慣を掘り起こしていきます。

 南風原(はえばる)町は琉球王国時代の王府・首里に近く、独自の伝統や文化を培ってきました。町内には12の字(あざ)・集落があり、町観光協会は月1回のペースで地域の史跡や名所を訪れる「まち歩きツアー」を実施してきました。史跡や名所といっても、地元の人以外はほとんど知らない場所です。普段着の沖縄人(うちなーんちゅ)の暮らしが表れているともいえるでしょう。ご案内するのは地元出身のガイド(地域ガイド)です。県外の方にとっては耳慣れない用語や生活習慣がガイドの説明に交じるかもしれませんが、地域ガイドをサポートして解説するコーディネーターガイドも一緒に回りますので、基本的なところから気軽にお尋ねいただけます。

 年度内のツアーは、開催の場所・日時は決まっています(変更になる可能性あり)が、その中から2件を選んでご紹介します。参加料はツアーによって異なりますが、1人あたり1,500~2,500円です。詳しい内容のお問い合わせやお申し込みは、南風原町の観光協会(098-851-7273 、https//www.haebaru-kankou.jp)または観光案内所(098-882-6776)へ。協会ホームページの「おすすめ情報」欄に「2024年度まち歩きツアー予定表」が掲載されています。

2024年度のツアー予定表一部抜粋

かすりコースターづくりと工房見学のまち歩き

 8月10日(土) 午前10時~午後1時

 8月24日(土) 午前10時~午後1時

 集合場所:琉球かすり会館(南風原町本部157、TEL:098‐889‐1634)

かすり(絣)とは、経(たて)と緯(よこ)の糸が交互に織り込まれる平織りの織物で、幾何学模様が特徴的です。インドから東南アジアを経て琉球(沖縄)に取り入れられ、「琉球かすり」と呼ばれています。琉球から日本へ伝えられ、「薩摩かすり」や「久留米かすり」に影響を与えたとして「日本のかすりの源流」ともいわれます。琉球かすりの生産が盛んな南風原町では、織物工房や糸張り作業場などかすり関連の施設が集まる地域を歩きながら、伝統の技術や作業工程を見学できます。琉球かすり会館では、好きなデザインを選んでオリジナルのコースター織づくりに挑戦します。

●戦跡ツアー(沖縄陸軍病院南風原壕群20号、津嘉山地域

 9月14日(土) 午前10時~午後1時

 集合場所:はえばる観光案内所(南風原町字喜屋武241‐1、TEL:098‐882‐6776)

沖縄戦では南西諸島を防衛する第32軍の司令部壕を南風原町津嘉山に建設する計画が立てられました。司令部機能は首里に移転しましたが、ここには兵器や食料など軍事物資や軍資金を管理する後方支援部隊が配備されました。証言などによれば壕の長さは全長2キロに及んだといわれます。また、町内には約30の横穴壕が造られ、沖縄陸軍病院が設けられました。軍医、看護婦、衛生兵ら約350人に加え、看護補助要員としてひめゆり学徒220人余りが動員されました。米軍が沖縄本島に上陸した後は、負傷兵が激増し女子学徒たちは医療器具や医薬品、食料が不足する中、凄惨な治療現場で懸命に働きます。陸軍病院に撤退命令が出されると、重症患者に青酸カリが配られ「自決」が強要されました。ツアーではこのような現場を訪れます。

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神里まち歩きツアーを開催

 南風原町内からの3人に加え、名護市、南城市、那覇市、うるま市、石垣市など県内各地から申し込みがあり、計11人で神里まち歩きツアーを開催しました。最初は構造改善センター(公民館)でガイドから地域の概要について説明がありました。次に、4つの門中の骨神(フニシ、遠い祖先の遺骨)を祀った祠に移り、戦時中に拝所の移転・再編が行われた歴史が語られました。続いて、神里の始まりの地といわれるナカシモーを訪れ、名木100選に選ばれたガジュマルの大木を眺めました。奉納行事を終えた獅子を洗い清めたというシーシガーなどに立ち寄った後、沖縄県鉄道(軽便鉄道)糸満線の爆発事故現場近くへ行きました。1944年12月、列車に積んだ弾薬やガソリンへ火の粉が飛び散って引火し、同乗していた兵士や女学生ら約200人が死亡、この付近では肉片が広範囲に飛び散るなど凄惨な事故の模様がガイドの口から語られ、参加者はじっと聞き入っていました。
 この後、産湯や飲水に使われたという井戸・ウブガーや、門中・シーリー(世理)が管理し6月ウマチーが行われる上間之殿(イーマヌトゥン)に立ち寄った後、上ノロ殿内(ウィーヌンドゥンチ)を訪れました。ここではノロが司る火の神が安置され、旧盆や十五夜のシーサーケーラシーなどの行事が行われたといいます。次の神里之獄(ウガンモー)では、『琉球国由来記』に記された拝所であり、現在では周囲はグラウンドなどに整備された経緯が語られました。シーサーウクイモーでは、獅子(シーサー)の新旧交代式が行われ、古い獅子が燃やされたことなどが説明されました。最後に、公民館に戻って獅子の実物を見学しました。参加者全員とガイド、スタッフ全員で記念撮影をしてアンケートを記入した後、解散となりました。

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はえばる春フェスタ開催!

こんにちは!この度、ゴールデンウイーク特別イベントとして、「はえばる春フェスタ」を開催することになりました!!

↑画像をクリックすると拡大します。

PDFを見る

ものづくり、ステージパフォーマンスと、こどもたちが主役になれるコンテンツを集めました!!

先着100人限定!参加費無料のこいのぼり作り(^^♪

自分だけのこいのぼりを作っちゃおう(*‘ω‘ *)

ちいさな子からできる手作りワークショップ!参加費300円~

イベントを開けばいつも大人気のC.C.Commitさんをお呼びしました!この機会にオリジナルグッズを作っちゃおう❤

ステージ出演者の皆さんです!

かわいいダンスからかっこいい空手演武、書道パフォーマンス(^^♪

もちろん!南風原町のイメージキャラクターのはえるんも来るよ!❤

※ステージをご覧いただく方は、敷物等をご持参ください。

※内容に変更がある可能性がございます。予めご了承ください。

南風原町役場の町民広場・駐車場が会場になっています。

そのため、イベント臨時駐車場を設けています。

臨時駐車場に停めることができる車の台数には限りがございます

公共交通機関等をご利用いただけますと幸いです。

キッチンカーも来ます!お楽しみに❤

出店内容は近日公開します・・・(^.^)♪

天候等の影響で内容の変更や中止のお知らせはHP、公式SNSにてお知らせいたします。

ご理解とご協力よろしくお願い致します。

お問い合わせ:南風原町観光協会(098-851-7273)

主催:一般社団法人南風原町観光協会

共催:南風原町

協力:C.C.Commit

☆イベント詳細は公式SNSHPにて随時更新・投稿します☆

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かすりの道モニターツアー開催‼(外国人・英語圏向け)

*かすりの道まち歩きモニターツアー開催のお知らせ*

南風原町は琉球かすりや南風原花織の産地として知られています。

沢山の工房や職人が集まった「織物のまち」南風原町。平成6年に「琉球かすり会館」を起点にして特に織物が盛んな「喜屋武」「本部」「照屋」3つの地域を繋ぐ周囲2キロの道のりを「かすりの道」として整備しました。

今回は、外国人の方にも琉球かすりや南風原花織を知ってもらうことを目的としてかすりの道まち歩きモニターツアーを開催いたします。

ガイドと歩きながら、琉球かすりの歴史やかすりの道沿いにある工房の見学も行う予定です。

なお、対象者は英語圏の方とさせていただきますので、お近くに住んでいる英語圏の方がおりましたらこの機会に是非お声かけをお願いいたします。

Entry form ↓ ↓

https://forms.gle/h2FmScYcP72LbDdR9

<Kasuri Road walking Tour>
Date: February 10th 2024
Time zoon: From 10:00 to 13:00
Time required: Approximately 3hours
Capacity:15people
Entry fee: free-reservation required
Meeting place: Ryukyu Kasuri kaikanhall-(157Motubu,Haebaru Town)
Eligible Applicant: Foreigners(Language: English)
Contact: Haebaru Town Tourism Association
Email: chiiki-machidukuri@haebaru-kankou.jp

<かすりの道まち歩きモニターツアー〉
日時:2024年2月10日(土)
時間:10:00~13:00(所要時間:約3時間)
定員:15名
参加費:無料(要予約)
場所:琉球かすり会館(南風原町字本部157)
対象者:外国人(英語圏)
問合せ:一般社団法人 南風原町観光協会
Eメール:chiiki-machidukuri@haebaru-kankou.jp




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神里まち歩きツアー開催!

お待たせいたしました❗️

神里まち歩きツアー第2弾

字神里は「沖縄ふるさと百選」にも認定されている
伝統文化で集落を守り、結の心を育む素敵な集落です。

なんといっても特徴的なのは、
獅子舞奉納(シーサーケーラシー)

遊びシーサーとして親しまれ、子ども達と直にふれあい、
子どもが中に入って来ることも…。

獅子(シーサー)は、字の方にとって特別で、大事な存在です。今回は、そんな字神里の獅子(シーサー)を観せて頂けます❗️

また、神里には沖縄の名木に認定されたガジュマルの木が4本あります🌳🌳🌳🌳

そんな、魅力いっぱいの字神里を、地域ガイドと一緒
散策しませんか‼️

お申込はコチラからもどうぞ↓↓

https://forms.gle/WxZz5XKyVuo6U38g7