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21年ぶりに開催される津嘉山大綱曳き(7月27日・28日)の準備作業として7月7日、綱打ち(大綱づくり)が実施されましたが、南風原町観光協会ではこの綱打ち作業を応援するボランティアツアーを開催しました。
集合場所のはえばる観光案内所に一般参加者7人が集合した後、小型バスで津嘉山保育園の駐車場まで移動。14世紀末から15世紀初めにかけての頃、長嶺按司と仲間按司の戦いがありましたが、この時の死者の遺骨を祀ったといわれる「東の御嶽」を訪れた後、「高港屋敷跡」や「馬場跡」に立ち寄り、霊石が安置された「ビズル(賓頭盧)」へ行きました。続いて、綱打ち作業の現場である津嘉山公民館に入り、稲藁を束にする作業を手伝いました。
午前11時過ぎから南風原高校の生徒たちが教師に引率され応援隊に加わり始めました。生徒たちも、地域のお年寄りにコツを教えてもらいながら、稲藁の束づくりをしました。最終的には、南風原高校からは生徒30人、引率教師2人が参加しました。午後3時からは津嘉山地域振興資料館で、カナチ棒や東西の旗頭など綱曳きに関する資料や道具を見て綱曳きの歴史を学びました。

続いて、大屋・西あしびなーに行き、歴史上の人物に扮した者「シタク」を乗せる台や旗頭など西の綱曳きに関する道具が制作される現場を訪れました。ちなみに、この台を多くの者たちが竹の棒で持ち上げ支える方式は、沖縄の他の綱引きにはない特徴的な点とされます。この後、村の草分け家の跡に設けられた祭祀場である「殿小」に立ち寄りました。ノロ殿内・東あしびなーでは、東の綱曳きに関する道具を制作する工程を見学しましたが、同じ「シタク」を乗せる台も東と西では作り方が異なる点にツアー参加者は関心を寄せていました。また、21年ぶりの大綱曳きのため、道具づくりの大半は見よう見まねであることが、担当者から語られました。再び津嘉山保育園の駐車場に戻ると、小型バスではえばる観光案内所まで移動し解散となりました。



もう何度も沖縄へ来ているみなさん! 首里城、牧志公設市場、美ら海水族館といった有名観光地はすでに訪れましたよね。もっとゆったりとした気分で普段着の沖縄に触れてみたいと思っていませんか。そんなみなさんにお勧めしたいのが、南風原町観光協会の「まち歩きガイドツアー」です。生粋の地元出身ガイドとともに細い路地裏を歩きながら、地域の歴史や信仰、生活習慣を掘り起こしていきます。
南風原(はえばる)町は琉球王国時代の王府・首里に近く、独自の伝統や文化を培ってきました。町内には12の字(あざ)・集落があり、町観光協会は月1回のペースで地域の史跡や名所を訪れる「まち歩きツアー」を実施してきました。史跡や名所といっても、地元の人以外はほとんど知らない場所です。普段着の沖縄人(うちなーんちゅ)の暮らしが表れているともいえるでしょう。ご案内するのは地元出身のガイド(地域ガイド)です。県外の方にとっては耳慣れない用語や生活習慣がガイドの説明に交じるかもしれませんが、地域ガイドをサポートして解説するコーディネーターガイドも一緒に回りますので、基本的なところから気軽にお尋ねいただけます。
年度内のツアーは、開催の場所・日時は決まっています(変更になる可能性あり)が、その中から2件を選んでご紹介します。参加料はツアーによって異なりますが、1人あたり1,500~2,500円です。詳しい内容のお問い合わせやお申し込みは、南風原町の観光協会(098-851-7273 、https//www.haebaru-kankou.jp)または観光案内所(098-882-6776)へ。協会ホームページの「おすすめ情報」欄に「2024年度まち歩きツアー予定表」が掲載されています。

●かすりコースターづくりと工房見学のまち歩き
8月10日(土) 午前10時~午後1時
8月24日(土) 午前10時~午後1時
集合場所:琉球かすり会館(南風原町本部157、TEL:098‐889‐1634)
かすり(絣)とは、経(たて)と緯(よこ)の糸が交互に織り込まれる平織りの織物で、幾何学模様が特徴的です。インドから東南アジアを経て琉球(沖縄)に取り入れられ、「琉球かすり」と呼ばれています。琉球から日本へ伝えられ、「薩摩かすり」や「久留米かすり」に影響を与えたとして「日本のかすりの源流」ともいわれます。琉球かすりの生産が盛んな南風原町では、織物工房や糸張り作業場などかすり関連の施設が集まる地域を歩きながら、伝統の技術や作業工程を見学できます。琉球かすり会館では、好きなデザインを選んでオリジナルのコースター織づくりに挑戦します。

●戦跡ツアー(沖縄陸軍病院南風原壕群20号、津嘉山地域)
9月14日(土) 午前10時~午後1時
集合場所:はえばる観光案内所(南風原町字喜屋武241‐1、TEL:098‐882‐6776)
沖縄戦では南西諸島を防衛する第32軍の司令部壕を南風原町津嘉山に建設する計画が立てられました。司令部機能は首里に移転しましたが、ここには兵器や食料など軍事物資や軍資金を管理する後方支援部隊が配備されました。証言などによれば壕の長さは全長2キロに及んだといわれます。また、町内には約30の横穴壕が造られ、沖縄陸軍病院が設けられました。軍医、看護婦、衛生兵ら約350人に加え、看護補助要員としてひめゆり学徒220人余りが動員されました。米軍が沖縄本島に上陸した後は、負傷兵が激増し女子学徒たちは医療器具や医薬品、食料が不足する中、凄惨な治療現場で懸命に働きます。陸軍病院に撤退命令が出されると、重症患者に青酸カリが配られ「自決」が強要されました。ツアーではこのような現場を訪れます。

6月22日、南風原町の東新川災害時避難施設で第1回ガイド研修があり7人が参加した。最初、南風原町観光協会事務局から地域ガイドとコーディネーターガイドの役割、「まち歩きツアー」に関する昨年度の実績や今年度の予定について説明があった。続いて、観光協会前事務局長の藤原政勝氏が、観光協会設立の経緯に加え、沖縄陸軍病院南風原壕の平和ガイド事業やかすりロード盛り上げ隊などについて振り返った。この後、かすりロードや農業関係のツアーについて参加者から藤原氏に質問があった。

この日の参加者に対してアンケートを実施したところ、参加者全員から回答を得られた。
・地域ガイドとコーディネーターガイドの役割を理解できた。
・地域ガイド誕生のいきさつを知り、コーディネーターガイドもセットになることを誇りに思いました。「ばかもの」「よそもの」がイベントなどを作り上げることを確信しました。「ガイドパンフレット」「字マップ」作成までのいきさつ、平和ガイドのみなさんの活動に対して理解が深まりました。
・「ふぇーばる物産展」から見える、手づくりの力、情熱の力について考えさせられました。
・藤原さんのお話はとても頭に入りやすかった。ガイドの説明においても新しい視点で見直したいと思った。
・観光協会の歴史がよく理解できた。
・地域資源の説明板を設置してほしい。観光協会、役場、地域などの話し合いが必要。宮城の例のように。
・神谷さんの説明がわかりやすくていねいでよかったです。
・「名所・旧跡だけが観光地ではない」「イベント、体験、伝統行事、つくりあげる観光地」「ふれあえる観光地」「若者、馬鹿者、よそ者がつくる」……どれも大賛成、共感し、真理だと思います。私が町づくりにいつも思うのは、各県、各まちの「ないものからつくり出す力」が感動を呼び人を集めることです。
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南風原町内からの3人に加え、名護市、南城市、那覇市、うるま市、石垣市など県内各地から申し込みがあり、計11人で神里まち歩きツアーを開催しました。最初は構造改善センター(公民館)でガイドから地域の概要について説明がありました。次に、4つの門中の骨神(フニシ、遠い祖先の遺骨)を祀った祠に移り、戦時中に拝所の移転・再編が行われた歴史が語られました。続いて、神里の始まりの地といわれるナカシモーを訪れ、名木100選に選ばれたガジュマルの大木を眺めました。奉納行事を終えた獅子を洗い清めたというシーシガーなどに立ち寄った後、沖縄県鉄道(軽便鉄道)糸満線の爆発事故現場近くへ行きました。1944年12月、列車に積んだ弾薬やガソリンへ火の粉が飛び散って引火し、同乗していた兵士や女学生ら約200人が死亡、この付近では肉片が広範囲に飛び散るなど凄惨な事故の模様がガイドの口から語られ、参加者はじっと聞き入っていました。
この後、産湯や飲水に使われたという井戸・ウブガーや、門中・シーリー(世理)が管理し6月ウマチーが行われる上間之殿(イーマヌトゥン)に立ち寄った後、上ノロ殿内(ウィーヌンドゥンチ)を訪れました。ここではノロが司る火の神が安置され、旧盆や十五夜のシーサーケーラシーなどの行事が行われたといいます。次の神里之獄(ウガンモー)では、『琉球国由来記』に記された拝所であり、現在では周囲はグラウンドなどに整備された経緯が語られました。シーサーウクイモーでは、獅子(シーサー)の新旧交代式が行われ、古い獅子が燃やされたことなどが説明されました。最後に、公民館に戻って獅子の実物を見学しました。参加者全員とガイド、スタッフ全員で記念撮影をしてアンケートを記入した後、解散となりました。



